よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)19

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「いっそ病いと偽り、仕物(しもの)にでもかけるか」
 原昌俊が物騒なことを言い始める。
 仕物とは、暗殺のことである。
「おいおい……」
 信方が眼を剥く。
「本気ではないよ、信方。そのぐらい発想を広げねば解決の糸口が見つからぬ。御屋形様が御側に置くことを諦めざるを得ない方法を捻(ひね)り出すしかないのだ」
「仕物に限りなく近い方法か……」
「そうか、その娘に女人としての死を与えればよいということではないか。母子ともども京の尼寺へでも出家させてはどうか」
 今度も原昌俊が案を述べる。
「ずいぶんとあからさまな方法だな。それで、若が納得してくださるだろうか。どう考えても、われらの差し金とばれるのではないか、昌俊」
「いや、そうでもないぞ。その母子が頼重殿の冥福を祈り続けたいと望んだらどうする。父親を自害させた武田家には、それを止める術はない。つまり、御屋形様とて諦めるしかなくなる」
「確かに!」
 跡部信秋が膝を打つ。
「京の尼寺に出家か……。何か憐れだな……」
 信方が渋面になる。
 ――麻亜という娘だけでなく、気持ちを捨てなければならない若も憐れだ……。われらは二人を引き離すことばかりを考えているが、果たしてそれでいいのか……。
 別の考えが信方の脳裡に浮かぶ。
 ――いや、考えるまい。どうやっても倖せに結ばれそうな気がせぬ。かえって思わぬ不幸を呼び寄せることもあるからな。
「やはり、京の……」
 そう言いかけた信方を、跡部信秋が無言で静止する。
 それから、人差し指を口唇に当て、音もなく立ち上がった。
「そこにいるのは、誰ぞ?」
 信秋は戸の外に声を掛けながら、胸元から棒手裏剣を抜く。
「……菅助(かんすけ)にござりまする。申し訳ござりませぬ」
 返答に合わせ、信秋が勢いよく戸を開ける。
 そこには両手をついて平伏する山本(やまもと)菅助の姿があった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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