よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 十一月十九日、駒井政武が嶺松院の輿入れを進めるため、護衛の将兵を率いて駿府へ行き、今川義元に目通りした。
「高白(こうはく)殿、度々の足労、感謝いたす。母が生まれた甲斐の府中へ行くことを、娘も楽しみにしている」
「まことに有り難き御言葉にござりまする。万全の備えで姫様の嚮導(きょうどう)をさせていただきまする」
「ちなみに、この者たちがこたびの祝賀の使者として伺うことになっておる」
 今川義元は下手に控えた二人の家臣を差す。
「三浦(みうら)内匠助(たくみのすけ)、正俊(まさとし)と申しまする。どうかよろしくお願いいたしまする」
「同じく、使者を務めます高井(たかい)兵庫助(ひょうごのすけ)、実広(さねひろ)と申しまする。よろしくお願いいたしまする」
「こちらこそ、どうか、よろしくお願いいたしまする」
 駒井政武は一礼してから、二人の顔を見つめる。
 ――三浦内匠助殿は確か、治部大輔殿のご嫡男、龍王丸殿の傅役頭人(とうにん)ではなかったか?……そのような御方をわざわざ使者とするのは、北条家の件を進めたいという意向の表れか。
 政武の推察は、ほぼ当たっていた。
 義元の上手にいた太原(たいげん)雪斎(せっさい)が訊く。
「ところで、高白殿。大膳大輔殿も御母上を亡くされ、さぞかし御心痛のことと存じまする。息災でおられるか?」
「大井の御方様のご逝去は、わが主君もさることながら、われら武田家の者どもにとっても痛恨の極みでありました。されど、裳(も)が明けた後、わが主君はすぐに御出陣なさり、安曇郡と水内郡の小笠原残党を仕置いたしました。もちろん、御心痛はあれど、余人の及ばぬ胆力で御政務をこなされておりまする」
「さようにござるか。やはり、大膳大輔殿はまことに頼もしき御盟友にござりますな、上様」
 太原雪斎の言葉に、義元が頷く。
「こたびの慶事が、晴信殿をはじめとして武田家の者たちの悲しみを少しでも和らげるものとなってくれることを心より望んでいる。さて、堅苦しき挨拶はこのぐらいにいたし、席を用意してあるゆえ、前祝いとまいろうではないか。高白殿、出立(しゅったつ)までの間、ゆるりとくつろいでくれ」
「ははっ。有り難き仕合わせにござりまする」
 駒井政武が平伏した。
 この日の夜から、今川家の門前で神聖な松の木を焚(た)く門火(かどび)が行われた。
 それを合図としたかのように、駿府の門前という門前で輿入れを祝う門火が立ち並ぶ。
 二十二日の正午過ぎ、いよいよ嶺松院を乗せた輿が駿府を出立することになった。
 他家に嫁入りする娘は、輿の中に安産の守り神、犬張子の入った箱を二つ置き、実家の門を出る。これがいわゆる婚儀の門出だった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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