第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
そこから善光寺平の英多(あがた/松代〈まつしろ〉)へと抜け、さらに北の高井郡中野の高梨政頼に庇護(ひご)を頼む。
「刑部(ぎょうぶ)殿、武田にしてやられた。手下どもがことごとく寝返り、わが城に刃を向けてきた。すんでのところで逃げ延びたが……」
青ざめた村上義清が項垂(うなだ)れる。
「於(お)ふねは、無事か?」
高梨政頼が眉をしかめながら訊く。
於ふねとは政頼の妹であり、三年前の和睦を機に村上義清の側室となっていた。
「信頼できる護衛をつけ、事前に東国寺(とうこくじ)へ逃し、武田の軍勢を避けて北へ向かうようにしてある。じきに、中野へ戻ってくるであろう」
「さようか……」
「屋代の親子までが、それがしに叛(そむ)きよった。反撃したくとも、兵が足りぬ。刑部殿、越後の長尾殿に、何とか助太刀を頼めぬか」
義清が懇願する。
「昨年の末も、小笠原長時殿が同じように縋(すが)ってきた。そなたまで本城を追われるとは、武田の暴虐を看過できぬな。これから一緒に春日山(かすがやま)城へ行くか?」
高梨政頼が眉をしかめながら言う。
「まことか」
「わが甥子(おいご)、越後の長尾景虎殿は関東管領の山内上杉憲政殿を助け、信濃守護だった小笠原長時殿も快く受け入れてくれた。まだ若いが、信じ難い器量を持った麒麟児(きりんじ)だ。そなたの話も聞いてくれるであろう」
「さようか。ならば、すぐにでも越後へ」
村上義清が立ち上がる。
二人は高梨勢の護衛を率い、富倉峠を越え、半日をかけて春日山城に着いた。
「刑部殿、甥子の景虎殿は、おいくつであったかの?」
城内を進みながら、村上義清が訊く。
「今年で、齢二十四になる」
「二十四!?」
義清が驚く。
この漢(おとこ)は今年で齢五十三になり、高梨政頼は七つ歳下の齢四十六だった。
つまり、長尾景虎は二人の半分しか生きていない若輩である。
その若さでありながら、すでに京の幕府から越後国司(こくし)の立場を認められており、早晩、越後上杉家の名跡を嗣(つ)ぎ、越後国守護職になるだろうと目されていた。
「長尾景虎に限り、数えの歳など、なんの意味もなさぬ。会えば、そなたにもすぐにわかろうて」
高梨政頼は意味ありげな笑みで答えた。
――刑部殿がここまで申すとは、品定めが楽しみになってきたわ。
村上義清は口唇の左端を微(かす)かに歪(ゆが)めた。
小姓に案内され、二人は春日山城の広間へ通される。さすがに叔父の立場らしく、高梨政頼はすぐに面会を許された。
やがて、ぴしりと背筋の通った近習(きんじゅう)を従え、長尾景虎が現れる。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。