第十四回
川上健一Kenichi Kawakami
こっちのことだから気にしなくていいですと山田がいい、あらあんた、ちゃんと標準語を話せるじゃないとジーンズ女が笑い、水沼と山田は飲みかけのグラスを持ってボックス席に移った。すでにニット帽の女と小澤は二人だけで『幸福の黄色いハンカチ』を話題にして盛り上がっていた。残った四人は互いに名前を名乗った。すぐに、
「入ってくる時に、カノコさんのことを本当にトイレが好きっていってたけど、どういうこと?」
と山田がジーンズ女にいった。違うんですと手を振るへの字目笑顔の女を無視してジーンズ女がいう。
「この人の家は眠たくなっちゃうような音楽がずっとかかってるのよオ。高級デパートのトイレに流れているような気持ちのいい静かな音楽ばっかりイ。いつもそう。だからトイレ好きのカノコって訳エ」
「ああ、イージーリスニングですね。リラックスできますよね。静かな生活、いいですよね」
と水沼はいった。
「騙(だま)されちゃダメよオ。高級デパートのトイレに流れているような音楽が家の中に流れているから、おしとやかで静かなのが好きなんだって思うでしょうオ? ところがこの人、カラオケではロックとブルースをガンガンに歌うの。それがまた結構イカスのよオ。ティナ・ターナーが十八番。『ナットブッシュ・シティ・リミッツ』を聴いたらぶったまげちゃうからア。信じられるウ? カラオケに入っていないブルースのアカペラも最高なのよオ。だから男たちが一発でコロっと参っちゃう訳エ。見た目とまるで違うことしちゃうからさア」
とジーンズ女がいう。
「カノコさんが? 本当? ロックとかブルースを歌うようにはまるで見えない。ふんわかした雰囲気持ってるから、松田聖子とか森高千里ちゃんがピッタリって雰囲気だもん」
と山田がいった。
「でも分かりますよ」水沼はへの字目笑顔の女を見てうなずく。「人は見かけによらないですよね。私は青森の田舎町出身なんですけど、小学生の時に札幌から転校してきた女の子がいて、おしとやかで、いつもやさしい笑顔で、標準語をしゃべって、都会的な洗練された上品さがあって、勉強ができて、物静かで、一見するとスポーツは得意でないっていう大人しい感じなんですけど、ところが駆けっこが速くてリレーの選手でした。ドッチボールを投げるスピードもメチャクチャ速いし、音楽もドラムが好きでドラマーになりたいっていう、見た目とは違ってフィジカル系のスポーツ大好きな子でした。それから歩く姿がなんともいえず素敵でした。すっと背筋が伸びて、膝もすっと伸びていて、いつまでもずっと見ていたくなる歩き方でした」
熱を帯びた言葉が次から次へと止めどなくほとばしる。バカみたいに一人でしゃべり続ける男。水沼はしゃべりすぎに気づいてごまかし笑いをする。話を終わりにしなければ。
「つまり、本当に人は見かけによらないってことなんです」
「その子、あの『マイムマイム』の女の子ですね」
への字目笑顔の女は見透かしたような目を向けた。
- プロフィール
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川上健一(かわかみ・けんいち) 1949年青森県生まれ。十和田工業高校卒。77年「跳べ、ジョー! B・Bの魂が見てるぞ」で小説現代新人賞を受賞してデビュー。2002年『翼はいつまでも』で第17回坪田譲治文学賞受賞。『ららのいた夏』『雨鱒の川』『渾身』など。青春小説、スポーツ小説を数多く手がける。