よみもの・連載

軍都と色街

第六章 大阪 和歌山

八木澤高明Takaaki Yagisawa

松島新地を歩く


 松島新地を訪ねたのは、二〇一八(平成三十)年の夏のことだった。それ以前にも一度訪ねていたから、二度目になる。
 飛田新地は、方形に近い形で色街が形成され、まっすぐに伸びた道の両側には遊廓建築の建物がびっちりと軒を連ねているので、色街という匂いを濃厚に漂わせている。
 ここ松島新地は、心なしか道幅が広く、建物と建物の間もちょっとした間隔がある。情緒ある建物が数多く並んではいるのだが、妖艶さといった点では飛田に劣るような気がする。戦後に再生した松島新地と大正時代に生まれた飛田の年輪の差なのであろうか。

 ただ、地元の人からしてみれば、飛田より松島の人気が高いようだ。
 大阪に入った時に乗ったタクシーの運転手の言葉を思い出した。
「飛田は、外国人のお客さんも多くなって、賑やかにはなったけど、人が多いので、僕が遊ぶんなら、松島を選びますわ。女の子もぎすぎすしてなくていいですよ」
 私が松島を歩いたのは、夜の十時ぐらいであったが、飛田に比べると、歩いている客の姿は格段に少ないというか、ほとんど見かけなかった。
 店のおばちゃんも、飛田のようにしつこく声を掛けてくることはなく、あのざわざわとした飛田より、落ち着いている松島の方が、街を眺めるのには、ちょうど良い。
 色街を歩いていると、お好み焼き屋の看板が目についた。
 少し腹が減ったこともあり、色気より食い気ということで、暖簾(のれん)をくぐった。店には、常連と思しき男の客がひとりいた。
 店を切り盛りしているのは、年の頃、七十代と三十代の女性だった。おそらく母と娘だろう。
 注文を取りに来たのは娘の方だった。色街に呆(ぼ)けている男たちの姿を見続けてきたからだろうか、表情は淡々としていて、無愛想だった。
 豚玉のお好み焼きと焼きそばを頼むと、無表情で焼いてくれた。唯一の言葉は、「青のりかけますか?」だった。
 出来上がったお好み焼きを口に運ぶと、何だか豚肉が生臭い。そのまま残すのも嫌なので、無理して頬張った。おまけに焼きそばの豚肉も何だか臭う。
 本来なら、このような店は遊んだ客が腹を満たすためにあるのだろう。このところ色街を歩いても、さっぱり遊ぶ気は起きず、歩くだけで満足する自分がいる。果たして、色街を取材する者として、いいことなのか、悪いことなのか。
 逡巡を重ねながら、何だか臭うお好み焼きを全部食べ終えた。やはり、松島新地で遊ぼうという気は起きず、タクシーを拾って松島を後にしたのだった。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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