第八章 津田沼 中国 ビルマ
八木澤高明Takaaki Yagisawa
老人の名前は、ロット・ニャブ。ポル・ポトはサロット・サルと名乗っているが、本当の姓はロットだと、ニャブは言った。彼は末っ子で、すぐ上の兄がポル・ポトだった。
「子どもの頃はよく、一緒に遊んだよ。川で泳いだりしてね。彼は喧嘩などしない真面目な子どもだったよ。小学校からプノンペンに行ってしまったから、一緒に暮らしたのは六歳までだったんだ。学校の夏休みには、家に帰ってきたけど、まだ小さかったからはっきりと覚えていないんだよ。子どもの頃のことで、よく覚えているのは、戦争中に日本兵が来たことだよ。銃剣を付けた銃を持って歩いていたよ」
ニャブが言った戦争とは太平洋戦争のことで、彼が見た日本兵とは日本軍がタイに進駐する直前の一九四一(昭和十六)年十一月頃のことだろう。その話を聞いた当時、日本兵という言葉に祖父が含まれているとは思いもしなかった。はっきり言えば他人事であった。もしかしたら、ポル・ポトの弟は祖父を見ていたかもしれなかった。
当時は意識もせずに歩いていた東南アジアの各地に、祖父の足跡があることを軍歴証明書から知った。母が実家で見つけるより前に、なぜもっと早く取り寄せなかったのかと、ノンフィクションに携わる者として思慮の浅さを思い知らされた。仮に、その時祖父がカンボジアで戦った場所を知っていれば、ポル・ポト派やカンボジアの人々を描く時に、日本との歴史を軸にもっと深く考察することができたに違いなかった。
- プロフィール
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八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。