第八章 津田沼 中国 ビルマ
八木澤高明Takaaki Yagisawa
戦地で、息子の死を知った祖父は悲しみに暮れたに違いない。その話については、私に何もしてくれなかった。
日本の敗色が濃くなりつつあった一九四四年四月に鉄道第一連隊に応召された祖父は、鉄道第十四連隊に編入された。二ヶ月後の六月に中国の武昌に入り、大陸打通作戦に関わった。武漢と広東を結んでいた粤漢(えつかん)鉄道の建設作業に従事したことになっている。
『鉄道兵回想記』には、同時期に鉄道第十四連隊に在籍していた志水幸治さんという方の手記が掲載されていた。それによれば、鉄道第十四連隊は戦争末期に編制された部隊であることを如実に物語っていた。
”編制内容は本職の鉄道兵はほんの僅かで殆どが予備役の歩兵、砲兵、輜重(しちょう)兵等と第一乙種以下の未教育兵で、誠に心もとない鉄道部隊のように思われた。
編制された時、私達の中隊には鉄一から転属した下士官一名が居たので、その下士官を中心に我々鉄道兵上がりが助手となって、鉄道兵の基本教育から始める事となったが、老兵の教育は中々思うようには行かなかった。”
その話を読む限り、下士官であった祖父も部隊を纏(まと)めるのに苦労したのかもしれない。中国に渡った鉄道第十四連隊は、湖南省の岳陽から長沙間において、鉄路の整備と輸送に携わった。
祖父が従軍した武昌も長沙も、私は取材で訪ねたことがあった。やはり、その時は祖父が昔その場所にいたことなど知らなかった。長沙郊外の韶山(しょうざん)という土地が毛沢東の生まれ故郷ということもあり、その取材で足を運んだのだった。
「八路軍がよく線路を爆破したりして、嫌な連中だったよ」
幼少期に聞いた祖父の戦争話にはよく毛沢東と関連が深い八路軍の名前がでてきた。八路軍とは、中国の華北地方を中心に編成された中国共産党のゲリラ部隊のことだ。戦時中は祖父の敵であった中国共産党を率いていた毛沢東。すでに鬼籍に入っていた祖父は長沙を訪ねた私を、あの世からどんな思いで見守っていたのだろうか。
その後鉄道第十四連隊は湖南省から山東省の徐州へと転戦した。一九四五(昭和二十)年八月十五日を徐州で迎え、国民党軍に武装解除された。
『鉄道兵回想記』によれば、終戦後は、国共内戦がはじまるまで、国民党軍の要請により鉄道の保守管理を任されていた。一九四六年十月の国共内戦直前、技術者でもあった鉄道兵たちは、ひとつの決断を迫られたという。国民党軍から中国に残って協力して欲しい、士官待遇で迎えるという申し出があったのだ。祖父は同年四月に山口県の仙崎港に上陸しているので、その要請を断ったのだろう。
- プロフィール
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八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。