よみもの・連載

軍都と色街

第八章 津田沼 中国 ビルマ

八木澤高明Takaaki Yagisawa

 鉄道第五連隊は、タイに残留する部隊と、マレー半島に進攻する部隊に分かれた。祖父は、一九四一年十二月十八日マレー半島に突入した。言わずと知れたマレーの虎と呼ばれた山下泰文中将が指揮を取り、シンガポールを最終目標とした作戦だった。
 日本軍はマレー半島を南下し、当初は百日でシンガポールを陥落させる計画を立てていたが、作戦は順調に推移し、七十日ほどでシンガポールは陥落した。そのマレー作戦において、鉄道連隊の果たした役割も少なくなかった。
 開戦時、日本軍はマレー半島を流れるペラク川に架かる鉄橋の確保を第一目標としていた。ペラク川はマレー半島最大の川で、鉄道連隊の将兵たちによって記された『鉄道兵回想記』によれば、当時の川幅は五百メートル、水深数メートル、水面より橋桁まで十数メートル、満々たる濁水が流れていたという。ペラク川は現在のマレーシアの首都クアラルンプールから北に二百キロほど離れた都市イポーの郊外を流れている。
 ちなみにイポーの街は、錫(すず)を産出することでも知られ、一九二〇年代から大いに栄え、多くの華僑の労働者たちが一攫千金を求めて集まった。華僑の中でも、多かったのが中国広東省や福建省を中心に円楼という独特の住居を建てることで有名な客家(ハッカ)たちだった。
 客家は元々黄河流域に暮らしていたのだが、度重なる戦乱の中で、故郷を追われ流浪し、中国南東部の福建省や江西省、広東省に辿り着いた。しかし、それらの土地にも当然先住民が暮らしていたので、彼らは必然的に生活環境の悪い山の中などの土地に住まざるをえなかった。元々住んでいた人々から、他所からやって来た人を意味する客家と名付けられたのだった。
 民族流浪の歴史を重ね、山間部という生産性の低い土地に暮らしている客家の人々にとって、少しでも生活を良くしたいという考えを持つことは当然であった。福建省や広東省は、古代から東南アジアやその先のアラブ世界やヨーロッパとも繋がる海の玄関口であったこともあり、客家の人々は、東南アジア各地そして世界に飛び出していったのだった。
 客家出身の人物として知られているのは、タイガーバームの開発者胡文虎(こぶんこ)。シンガポールを建国したリー・クアンユウ、クーデターで国を追われたタイの元首相タクシン、中国のケ小平など多くの人物を輩出してきた。
 かつて、客家が多く暮らす福建省の山間部を訪ねたことがあった。そこは胡文虎の父親の生まれ故郷で、円楼が建ち並んでいた。集落で知り合った地元住民に夕食に招待されたのだが、そこで出されたのは、淡水魚鮒(ふな)の唐揚げだった。日本では、鮒鮨として食べられることはあるが、鮒鮨すらも食べたことはなかった。
 唐揚げの味は、意外にも旨味があり、川魚特有の泥臭さは一切なかった。鮒に舌鼓を打ちながら思ったのは、山間部ゆえに現代の日本では今はあまり食べられることはない鮒すらも貴重なタンパク源とする厳しい生活を強いられているということだった。人々が海外に活路を見出した理由を鮒から感じた。

プロフィール

八木澤高明(やぎさわ・たかあき) 1972年神奈川県生まれ。ノンフィクション作家。写真週刊誌カメラマンを経てフリーランス。2012年『マオキッズ 毛沢東のこどもたちを巡る旅』で小学館ノンフィクション大賞優秀賞を受賞。著書に『日本殺人巡礼』『娼婦たちから見た戦場 イラク、ネパール、タイ、中国、韓国』『色街遺産を歩く旅』『ストリップの帝王』『江戸・色街入門』『甲子園に挑んだ監督たち』など多数。

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