よみもの・連載

城物語

第七話『姉の背中(白石城)』

矢野 隆Takashi Yano

「父さま母さまと一緒に暮らせますね」
 信夫が言うと、宮城野は笑ってうなずいた。姉は望みを果たしたのだ。信夫にも思い残すことはなにもなかった。
「さぁ、いきましょう」
 言った姉の瞳の奥に気迫が満ちる。信夫は切っ先を姉の胸に定め、柄を強くにぎった。
 逝(い)く……。
 姉を強く抱こうとした刹那、強い力がふたりを阻んだ。固く閉じていた瞼を開くと、さっきまで陣幕の前に座っていた見届け役の侍が二人の肩口に太くて大きな掌を当てていた。
「御主等を絶対に死なせてはならぬ。そは殿の命(めい)じゃ」
「百姓の身でありながら、剣術指南役を斬りました。死をもって償うしか術を持ちませぬ」
 毅然と言った姉に、侍が首を振る。
「仇討ちを許した時点で、御主たちの身分は不問。そちたちを死なせれば殿の命に背いたことになる。儂は腹を斬らねばならぬ。儂を救うと思うて、刀を鞘に収めてはくれぬか」
 おそらく男は武芸の達人なのだろう。ふたりを止める力が尋常ではない。むりやり抱きあおうとしても、たちまち組み伏せられてしまうだろう。
「否応はない。こは殿の命ぞ。殿は御主たちに生きよと仰せじゃ」
「生きる……」
 信夫がつぶやくと、侍は太い眉を固く引き締めながら力強くうなずいた。
「そうじゃ。父母のためにも御主たちは生きねばならぬ」
 宮城野が静かに刃をおろした。
「姉さま」
「生きる……。生きるのならば、父さまと母さま。そして志賀団七……。みなの菩提(ぼだい)を弔いましょう」
 小さいころから信夫の行く道を決めるのはいつも姉だった。
「はい」
 それでよい。姉とともに生きることが、己が大願。探さずとも信夫の大願は、幼いころから目の前にあったのだ。姉が開いてくれた道を、まばゆい背を見つめながら歩いてゆく。これ以上の幸福はない。
 信夫は静かに懐刀を仕舞った。

 姉妹のことはたちまち評判となり、江戸でも大層もてはやされた。娘ふたりの仇討ちという格好の題材を狂言作者たちが見逃すはずもなく、二人の壮烈な生き様は歌舞伎の演目となった。
 信夫と宮城野は尼となり、みなの菩提を弔いながら天寿を全うする。ふたりの享年は、宮城野六十二、信夫六十四であったという。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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