よみもの・連載

城物語

第八話『愚弟二人(高舘義経堂/衣川館 柳之御所)』

矢野 隆Takashi Yano

 この真っ直ぐな兄だけは信じられる……。
 泰衡は正直な気持ちを言葉にして舌に乗せた。
「某(それがし)は、判官殿は藤原家の命運を賭けてまで担ぐべき者とは思えませぬ」
 兄の太い眉がちいさく震えた。頬の肉をわずかに強張らせ、国衡は真剣な目付きで弟を見つめる。しかし言葉は吐かない。軽卒な発言を控えているようだった。
 そんな兄の様子に、泰衡は落ち着かなくなる。焦って言葉を重ねた。
「父の御遺言は確かに大事じゃ。我等と判官殿以外にも、あの言葉を聞いた者はおる」
 薬師(くすし)や女官たちが部屋の隅には控えていた。義経が大将軍に任じられたという噂は、一日にして平泉中に広がっている。
「それでも……」
 泰衡は腹の底まで息を吸い、想いの丈を兄にぶつける。
「鎌倉と事を荒立ててまで、判官殿を御守りする必要はないと思うておりまする。藤原家のため、平泉、陸奥、蝦夷のためにも、鎌倉とは戦わぬほうがよい」
 国衡は目を閉じ、しばし沈黙した。柄にもなくしゃべり過ぎた泰衡には、もはや言い残したことはなにひとつない。微動だにせず兄の返答を待つ。
「わかり申した」
 国衡がうなずく。
「泰衡殿がそう申されるのなら、某は従うまでじゃ。が、いますぐ判官殿を放逐いたさば、皆が黙っておりますまい。泰衡殿はどう思われておられるかわかりませぬが、判官殿は家臣や民に慕われておる故」
「存じておりまする」
 知ってはいるが、得心はしていない。どうして誰も、あの男の欺瞞(ぎまん)に気付かないのか。
「鎌倉と事を構えてはならぬという泰衡殿の御考えは、某も尤(もっと)もじゃと思う。しかし、義経殿を鎌倉に差し出すことは承服いたしかねる」
「いずれ決断すべき時が来ると思うておりまする」
 弟の言葉に、兄はうなずきで応えた。
「泰衡殿がそこまで御心を決めておられるのならば、某はなにも申しはいたしませぬ」
 国衡が穏やかな笑みを浮かべる。
「やはりこの平泉の主は泰衡殿じゃ」
 兄の言葉が泰衡の背を押す。
 義経などに平泉を奪われてなるものか……。
 泰衡の心は定まった。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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