よみもの・連載

城物語

第八話『愚弟二人(高舘義経堂/衣川館 柳之御所)』

矢野 隆Takashi Yano

 敵は兵を三軍に分け、平泉へむけて進軍した。
 白河関(しらかわのせき)を越えて平泉へと迫る敵の主力を迎え撃つため、泰衡は伊達郡(だてぐん)の阿津賀志山(あつかしやま)に先鋒を配置した。
 国衡の率いる先鋒隊は、二万という大軍である。
 阿津賀志山から長大な防塁を築き、国衡は敵の進行を阻もうと試みた。
 泰衡は国分原(こくぶがはら)、鞭楯(むちだて)に本陣を構え、吉報を待つ。
 戦は八月八日に始まった。そして二日後の十日に戦が終わったことを、泰衡は本陣で知る。
「な、なんじゃと……。あ、兄上が……」
 命からがら戦場から逃れてきたという男が、苦々しい顔付きで語る。
「いきなり背後より奇襲を受け、味方は総崩れとなり、国衡様も御逃げになられたのですが、その途次、敵と出くわし深手を負い、それでも御逃げになられておったところ、深田に足を取られ……」
 そこで男は言葉を吐くのをやめた。
 泣いている。
 そんなことは知ったことではない。どうしてこの男が、泰衡の目の前まで逃げおおせて、兄が死んだのか。逆ではないか。報告などいらぬ。最後の一兵になるまで盾となり、なんとしても兄をこの場に辿り着かせることこそが、この男たちの務めではないのか。
「申し訳ござりませぬ」
 謝ってもらっても、兄は戻らない。
 斬り捨ててやりたかった。だが、家臣たちの目もある。戦場から辛くも逃げおおせ、兄の死を報せた勇敢な男を斬って捨てたとあっては、味方は誰一人ついてこない。
 床几(しょうぎ)から立ち上がり、泰衡は天を見上げる。
 兄が死んだ、兄が死んだ、兄が死んだ、兄が……。
 己がいる限り敗けはしないと言った兄が死んだのだ。それはいったいなにを意味するのか。
「儂は、死ぬのか」
 誰にともなく問う。いや、天に昇り己を見下ろしているであろう兄にむけて問うた。とうぜん答えが返ってくるはずもない。
 兄がいたから……。
 国衡が生きている限り、泰衡の行く末にはなんの不安もなかった。
 どれだけ己が惣領として不足があろうと、兄がすべて補ってくれる。わからぬことがあれば兄に聞けば良い。父亡き後、泰衡が頼れる者は、兄だけしかいなかった。
「逃げる」
 提案ではない。命だ。家臣どもの意見など聞くつもりはなかった。兄が死んだいま、もはや鎌倉に対抗できる策はない。
「逃げるぞっ」
 叫んだ時にはすでに泰衡は、家臣たちを置き去りにして走り出していた。
 逃げた……。
 なりふり構わず泰衡はひたすら逃げた。

プロフィール

矢野 隆(やの・たかし) 1976年生まれ。福岡県久留米市出身。
2008年『蛇衆』で第21回小説すばる新人賞を受賞する。以後、時代・伝奇・歴史小説を中心に、多くの作品を刊行。小説以外にも、『鉄拳 the dark history of mishima』『NARUTO―ナルト―シカマル秘伝』など、ゲーム、マンガ作品のノベライズも手掛ける。近著に『戦始末』『鬼神』『山よ奔れ』など。

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