よみもの・連載

2021年 新春特別企画 堂場瞬一さんインタビュー

聞き手・細谷正充さん
構成・文/宮田文久 撮影/織田桂子

細谷
小説すばる新人賞受賞後は、「スポーツ小説を書いてください」という依頼が多かったのでしょうか。
堂場
いや、それがそうでもないんですよ。集英社で次に書いたのは『マスク』(2002年4月)というプロレス小説なんですが、作家としての2作目は、「刑事・鳴沢了」シリーズとなっていく『雪虫』(2001年12月、中央公論新社)でしたから。今のようにスポーツものもどんどん書いてくれ、と方々(ほうぼう)から依頼をいただくようになったのは、後年のことです。
江口
私も『雪虫』を読んで、堂場さんは本当はこちらでデビューしたかったんだろうな、と思いました(笑)。本道はミステリー小説や警察小説のほうだけど、経路を変えたスポーツ小説でデビューし、その後は両方書かれているわけですよね。弊社では『マスク』の後の2004年、社会人野球を描いた『いつか白球は海へ』を執筆いただきました。
堂場
その頃を振り返ると、漫画やアニメだったらスポーツものはたくさんあるわけですが、小説の先例があまりなかったので大変でしたね。
細谷
スポーツ小説が書かれる場合も、散発的ですよね。ひとりの作家がスポーツ小説をジャンルとしてまとめて書くのではなく、いろいろ書いているうちのひとつがスポーツもの、というような。
堂場
そうなんですよ。手本があまりなかったので、どう書けばいいのかも模索していきました。普通、スポーツといえば青春と結びつくと思うのですが、たとえば『8年』の主人公が30歳過ぎという、かなり年齢が上の人物であるように、大人が読めるスポーツ小説ということも考えていましたね。
細谷
そうした『8年』の次に出たのが『雪虫』だったので、当時としては今お話しされたような事情もわからず、「なぜいきなり警察小説なの?」という気持ちが、正直読者としてはありました(笑)。
堂場
僕自身にとっては本来のルートということで、どうかご容赦いただきたく……(笑)。思いかえせば1990年代の終わりから2000年代の頭というのは、横山秀夫さんが次々と作品を発表されて、警察小説が新しいフェーズに入った時期でしたよね。
細谷
そうですね。警察という組織の中の問題を描くようなタッチが出てきましたね。
堂場
僕がその流れを狙ったということではないのですが、たしかにそうした時代だったな、と。僕自身は、本当は私立探偵を書きたかったんです。ただ日本を舞台に書くとリアリティがどうしても欠けがちで、かつ僕はそこまでリアリティを飛ばしては書けない人間。そこで警察小説を選んだ、ということなんですよ。
細谷
私立探偵を書きたかったというのは、アメリカのハードボイルド小説がお好きだからですよね。
堂場
まさにそうです。
細谷
過去のインタビューを読むと、小学生の頃はSFを読んでいらしたとか。
堂場
中学生、高校生ぐらいになると、ハードボイルドな私立探偵小説を読むようになって、自分のベースになっていきました。主に翻訳ものだったんですが、一方で日本の先輩方が、向こうのハードボイルドを日本の小説に“移植”するべく、ものすごい苦労をされているのも読んできました。そこでどう落とし込んだらいいのかと考えたとき、僕の場合は警察小説という形を選んだ、ということなんです。
プロフィール

堂場瞬一(どうば・しゅんいち) 1963年茨城県生まれ。青山学院大学卒業。会社勤務のかたわら執筆した「8年」で第13回小説すばる新人賞受賞。スポーツ青春小説、警察小説の分野で活躍中。著書に『いつか白球は海へ』『検証捜査』『複合捜査』『解』『共犯捜査』『警察回りの夏』『オトコの一理』『時限捜査』『グレイ』『蛮政の秋』『凍結捜査』『社長室の冬』など多数。

細谷正充(ほそや・まさみつ) 1963年埼玉県生まれ。時代小説とミステリーを中心に、文芸評論家として活躍。著書に『必殺技の戦後史』『少女マンガ歴史・時代ロマン決定版 全100冊ガイド』『歴史・時代小説の快楽 読まなきゃ死ねない全100作ガイド』、編著に『くノ一、百華』『きずな 時代小説親子情話』『時代小説傑作選 土方歳三がゆく』など。

江口洋 堂場さんの元担当編集。

出島みおり 集英社文庫編集長

集英社文庫の堂場瞬一作品。刊行順は下段→上段、左→右。一番初めの『8年』は2004年刊。

文庫化を控えている単行本作品。『ホーム』は19年ぶりに書いた『8年』の続編。