よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   二十一 

 御旗楯無(みはたたてなし)も御照覧あれ。
 衣冠束帯で正装した武田晴信(はるのぶ)が朗々たる声を発してから、天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)に見立てた宝物(ほうもつ)に八度拝(はちどはい)八開手(やひらて)を捧げた。
 弟の信繁(のぶしげ)をはじめとし、粛然と並んだ一門の家臣たちも主君にならう。冷たく澄んだ冬気に包まれた躑躅ヶ崎(つつじがさき)館で拝礼の儀が行われていた。
 天文(てんぶん)十一年(一五四二)元旦、晴信が武田家の惣領(そうりょう)となってから初めての正月だった。
 滞りなく新年の儀礼が済んだ後、一同は大広間に移り、揃って節饗(せちあえ)の椀飯振舞(おうばんぶるまい)となった。
 その翌日、さっそく評定始めが行われる。
 これまで新年初の評定は月の半ばに行われるのが恒例となっていたが、領国に関する問題が山積していたため、二日の開催に踏み切った。
 大上座(おおかみざ)についた晴信が神妙な面持ちで口上を述べる。
「皆、正月早々、ご苦労である。こうして急ぎ集まってもろうたのも、領国の内外に山積する問題をできるだけ早く解決したいと考えたからだ。甲斐(かい)の立て直しは、今が正念場と心得る。そなたらの力能のすべてを借り、この難局を凌(しの)ぎたいと思う。本年も、よろしく頼む」
「はっ!」
 居並ぶ家臣たちが一斉に平伏した。
「それでは、以後の進行を板垣(いたがき)に任せたい」
 晴信の言葉に、板垣信方(のぶかた)が頭を下げる。
「承りましてござりまする」
 父の信虎(のぶとら)が隠居したことに伴い、家中の体制は刷新され、これまでの家宰(かさい)という役職は廃止された。
 その代わりに、信方が執事筆頭、弟の傅役(もりやく)であった甘利(あまり)虎泰(とらやす)が次席となり、政(まつりごと)に関する重要な事柄については家臣による合議を経て決められることになった。
 これにより、評定の席は様々な意見が飛び交う場となり、当然のことながら以前よりも遥かに熱気を帯び、家臣たちが自然と各々の発言に責任を持つようになる。代替わりを経た武田家は、文字通り一丸となって領国の立て直しに取り組み始めた。
 それこそが晴信と信方の望みだった。
「では、まず内政についての進捗を加賀守(かがのかみ)から報告してもらう」
 信方が奉行筆頭となった原(はら)昌俊(まさとし)を指名する。 
「承知しました。長らく懸案となっておりました本年の作付けについては、今川(いまがわ)家から御祝儀としていただいた種籾(たねもみ)を領内に配り終え、例年以上となる見込みにござりまする。領民の喜びもとりわけ大きく、当家の代替わりも周知されることになり、方々で歓迎されておりまする」
 原昌俊は今年の最も重要な課題である作付けについて報告しながら、郷村の詳細な状況を伝える。
 代替わりの直前までは、度重なる天災と戦(いくさ)のための徴発で領民は疲弊し、一揆(いっき)の蜂起も起きかねない状況だった。
 しかし、すぐに種籾が支給されたため、信虎に恐れ戦(おのの)いてきた領民たちも少し落ち着きを取り戻す。その素早い対応が、惣領の交代を知らしめ、晴信がめざす新しい政への期待に繋(つな)がった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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