第三章 出師挫折(すいしざせつ)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
その様を見た三条の方が、穏やかな口調で言う。
「それでは、わたくしどもはそろそろ、お暇(いとま)いたしまする」
「……そなたらに外してもらわねばならぬほどの話ではないのだ。……いや、一緒に聞いてもらった方がよい」
晴信に言われた三条の方は、両手をついて頭を下げる。
「では、お義母様とご一緒に拝聴させていただきまする」
「そうしてくれ。母上、あの後、禰々から何か連絡がありましたか?」
「いいえ、年末に便りをもらってからは……」
大井の方は少し表情を曇らせる。
「どうしましたか、母上。何かありましたならば、忌憚(きたん)なく申してくだされ」
「……このことは、禰々からそなたへ直に伝えてもらった方がよいと思うていましたが……」
口ごもった母を、晴信が促す。
「教えてくだされ」
「……どうやら、禰々にややこが授かったのではないかと」
「ややこ!?……禰々が身籠もったということにござりまするか?」
「はい。年を越す前の便りには、つわりが少しおさまったと記してありました。おそらく、間違いはありますまい」
「頼重殿と禰々の子……」
晴信が眉をひそめながら呟(つぶや)く。
「……目出度(めでた)いことだが」
「諏訪家と何かありましたのか?」
母が心配そうに訊ねる。
三条の方と常磐は、二人の様子を無言で見守っていた。
「……海野平の合戦以降、佐久で色々と難儀なことがありまして、それに少し諏訪も関係しておりまする。されど、諏訪家と今すぐにどうこうという問題はありませぬ。ご安心くだされ」
晴信はあえて事実を伝えず、母親を安心させようとした。
妹が懐妊したとあれば、少し様子を見る必要もあったからである。
「……このところ、様々なことがありましたから、禰々も少し気疲れしているのやもしれませぬ」
「父上の御隠居も含め、すべてはこの身が至らぬせいにござりまする」
「いいえ、そなたを責めているのではありませぬ」
「禰々にはそれがしから文を送っておきまする。母上はご心配召されず、養生してくだされ」
「わかりました」
「ごゆっくり、お休みくだされ。では、御方。われらも戻ろうか」
晴信は三条の方に言う。
「はい、御屋形(おやかた)様」
二人は常磐を伴い、大井の方の居室を後にした。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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