第三章 出師挫折(すいしざせつ)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
作付けについての話を終え、原昌俊が次の課題に移る。
「新府周辺の治水については、御下命がありました通りに竜王(りゅうおう)の石工(いしく)衆を登用し、ただいま方策を練っておりまする。五月雨(さみだれ)の増水が起きる前に、釜無川(かまなしがわ)と御勅使川(みだいがわ)が合流する竜王鼻にて、なにか手段を講じるつもりにござりまする。晴信様に紹介していただいた輿石(こしいし)市之丞(いちのじょう)はなかなか優秀な漢(おとこ)であり、本気で取り組んでおりまする」
奉行筆頭の言葉に、晴信は満足そうに頷(うなず)く。
「さようか。治水の件については、余も岐秀(ぎしゅう)禅師に調べをお願いしている。御師曰(いわ)く、どうやら明国(みんこく)の四川省(しせんしょう)に都江堰(とこうえん)と呼ばれる優れた治水場があるということなのだ。詳細はまだわからぬが、この都江堰によって岷江(みんこう)という暴れ河が静まり、周囲の土地に水利の恵みをもたらし、その一帯は『天府之国』と謳(うた)われるほどの豊饒(ほうじょう)な収穫があるそうだ。それについて詳しく記した唐(から)渡りの書物があるらしく、御師にお探しいただいている。手法がわかれば、竜王鼻の治水に役立つやもしれぬ」
「それは心強うござりまする。その治水法を石工衆と一緒に学び、なるべく早く手立てを講じるべきかと」
昌俊も賛同する。
「そうだな。余も詳細を知っておきたい。竜王鼻での治水が成功すれば、他の場所でも応用できるであろう。暴れ河を制して豊饒な収穫のための水利を得るというのは、なんとも夢のような話ではないか。もう新府が泥沼と化す様は見とうないからな」
晴信の言葉を聞き、駒井(こまい)昌頼(まさより)が手を挙げた。
「懼(おそ)れながら、それがしにもその治水法を勉強させていただけませぬか。われらの地元、駒井郷韮崎(にらさき)も釜無川から恩恵を受ける土地柄にござりますが、氾濫(はんらん)した時は手に負えませぬ。そこで竜王鼻と同じく洪水となる前に備えの手立てを施しておきとうござりまする。どうか、治水の奉行にお加えくださりませ」
「ならば、それがしもお願いしとうござりまする」
甘利虎泰も話に加わる。
「わが地元、甘利荘(あまりのしょう)も御勅使川と割羽沢川(わりはねざわがわ)に挟まれ、昔から氾濫を抑えて水利を得ることが重要でありまして、これまで地の者たちが手を尽くしてきました。されど、もっと良い治水法があるならば知りとうござりまする」
その申し出を聞き、晴信は眼を輝かせる。
「御勅使川の治水は、竜王鼻にも大きな影響を及ぼすであろう。つがいとなっている二つの川が一緒に治まり、水利を得られるようになるのは理想だ。それが成功すれば、他の場所でも治水法として活用できるようになるであろう。甘利、願ってもない申し出だ」
「有り難き仕合わせ。わが里からそれなりの人数を出しますゆえ、よろしくお願いいたしまする」
甘利虎泰は我が意を得たりと笑顔になり、頭を下げた。
「治水はそれなりに長い時をかけねばならぬゆえ、若い者に学ばせるのがよかろう。他にも興味のある者があれば、遠慮なく申し出てくれ。治水についての差配は加賀守に取りまとめてもらう」
晴信の言葉に、原昌俊が即応する。
「承知いたしました。必要があると思う者は評定の後で遠慮なく申し出てくれ。進め方に関しては、逐次、それがしから伝える。治水だけでなく、他の奉行についても関心がある者は何なりと訊ねてくれて構わぬ」
この漢は先代の陣馬(じんば)奉行だったが、実は内政に関してかなり幅広い智識(ちしき)を持っていた。 そうした才を重く見た晴信は、原昌俊を奉行筆頭として家中の取りまとめと人員配置を任せたのだが、その期待を遥かに超えて役目をこなしている。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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