第三章 出師挫折(すいしざせつ)
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「確かに、これまではそうであったかもしれませぬ。されど、昨年、小笠原も代替わりをしたようにござりまする」
「まことか!?」
「はい。どうも小笠原長棟(ながむね)の健康が優れぬようで、出家して嫡男の長時(ながとき)に家督を譲ったようにござりまする。その途端に、当家でも信虎様の御隠居がありましたゆえ、小笠原長時が諏訪頼重に和談を申し入れたようにござりまする。それ以後、頼重は頻繁に松本平の林(はやし)城へ行っておりまする」
「なんということか……」
「それだけではござりませぬ。代替わりをしようとしている家がありまする」
「それは信濃の一門か」
「信濃の一門かと問われれば、微妙にござりますが、まさに美濃と信濃の境に根を張る名族……」
「木曾(きそ)家か?」
「さようにござりまする。当代の木曾義在(よしあり)もすでに軆が動かぬようで、嫡男の義康(よしやす)が相続を見据え、しきりに小笠原長時の下へ使者を送っておりまする。同時に村上義清とも誼を通じようとしておるようにござりまする」
「信濃の名族、木曾と小笠原。それに新たな勢力の村上か」
「それに諏訪が加われば、当家が信濃へ出ていく道筋はなくなりまする」
跡部信秋は真剣な面持ちで言った。
「そなたが申すことがまことならば、佐久の一件は看過できぬ出来事となるな」
信方も眉をひそめながら言う。
「さようにござりまする」
「当家が信濃へ出て行くことを好まぬ連中が裏で手を組もうとしているとしか思えませぬ。されど、われらはすでに信濃で多大な血の代償を支払うておりまする。このまま手をこまぬいているわけにはいかぬと思いまするが」
「そなたの言う通りだ。されど、禰々様のこともある。難しいところだ」
「それがしは諏訪と小笠原の結託を示す証を得るため、もう少し諜知を続けまする。確証を得ましたならば、すぐにお伝えいたしまするが」
「そうしてくれ。それがしは折を見て、若にそなたの心配をそれとなく伝えておく」
「お願いいたしまする」
「どうやら、時をかけて領国の立て直しというわけにはまいらぬようだな」
信方がそう呟いた時、室外から雑掌(ざっしょう)が声をかけてきた。
「旦那様、お客様がお見えにござりまする」
「来客?……さような予定はなかったはずだが。いったい誰だ」
信方は訝(いぶか)しげな顔で立ち上がった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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