よみもの・連載

信玄

第三章 出師挫折(すいしざせつ)2

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   二十一 (承前)

 襖(ふすま)を開けると、数名の跫音(あしおと)が響いてくる。
「駿河(するが)殿、お邪魔いたす」
 声を発したのは、先頭にいた原(はら)虎胤(とらたね)だった。
 その後ろに、甘利(あまり)虎泰(とらやす)と飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)の顔も揃っている。
「鬼美濃(おにみの)……」
 信方(のぶかた)は驚きの表情で呟く。
「新府で正月を過ごすのも久方ぶりゆえ、是非そなたと酒を酌み交わしたいと思うていた。そうしたならば、備前(びぜん)と兵部(ひょうぶ)も相伴に与(あずか)りたいと申すので連れてまいった。不躾(ぶしつけ)を承知で上がらせていただきましたぞ」
 原虎胤は髭面(ひげづら)をほころばせる。
 すでにどこかで吞んできたようで、ほろ酔いの上機嫌だった。
「……それがしは急に押しかけるのは、良くないと申したのだが」
 甘利虎泰は取り繕うように言いながら頭を搔く。
 飯富虎昌は二人の後ろでただ笑っているだけだった。この者もすっかり酔いが回っているようだ。
「とりあえず中へ入ってくれ。すぐに支度をさせるゆえ」
 信方は苦笑しながら三人を招き入れた。
「おお、跡部(あとべ)もおったのか?」
 原虎胤は室内にいた跡部信秋(のぶあき)に眼をやる。
「お邪魔ならば退散いたしますが」
「まあ、焦って帰らずとも、よいではないか。新参のそなたには良い機会だから、一緒に吞もう。互いを知るには、一献酌み交わすのが手っ取り早いからな。構わぬよな、駿河殿」
 虎胤の言葉に、信方が頷(うなず)く。
「ああ、そうだな。話の区切りもついたゆえ、そなたも一杯吞んでゆけばいい」
「さような次第ならば、遠慮なく御相伴に与りまする」
 跡部信秋は小さく頭を下げる。
 信方は雑掌(ざっしょう)に命じて酒肴(しゅこう)の支度をさせた。
 この五人が顔を揃えて酒盛りをするのは初めてのことだった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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