第三章 出師挫折(すいしざせつ)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
跡部信秋は小笠原(おがさわら)家と木曾(きそ)家の代替わりについて話し、それが諏訪(すわ)と村上(むらかみ)との密盟に繋(つな)がってしまうという怖れがあることを伝える。
その話を聞いた途端、三人が眉をひそめ、渋面となった。
「やはり、諏訪頼重(よりしげ)は信用ならぬ」
すべてを聞き終え、原虎胤が怒気を含んで言う。
「海野平の合戦の時も、あの者は奇妙な動きをしていた。われらの軍勢だけに神川(かんがわ)を渡らせ、戦況が勝利に傾くまで上田原(うえだはら)で戦いを傍観していた。もしも諏訪勢が千曲川(ちくまがわ)を渡って敵の横腹を突いていたならば、あの戦(いくさ)はもっと簡単に終わっていたはずだ」
「さような状況であったのか」
海野平合戦で留守居をさせられた信方が呟く。
「われらは大御屋形様に尻を叩かれ、しゃにむに戦うしかなかった。されど、村上の兵どもは調略で奪った砥石(といし)城から動かず、今から思えば、諏訪とも示し合わせていたのであろう。結果から見れば、あの戦では実利も得られず、われらは嵌(は)められたとしか思えぬ。だとすれば、諏訪と小笠原の密盟などという兆しは、とうてい看過できぬ」
「もちろん、それがしも同感だ。されど、まだ確証がなく、若が申されたように禰々(ねね)様の件もあるとすれば、今は静観しておくしかあるまい。歯痒(はがゆ)いとは思うが、もう少し跡部の諜知に任せてみてはどうか」
信方は顰面(しかみづら)で答えた。
「確かに、そうなのだが……」
原虎胤が悔しそうに盃を干す。
「駿河殿、それがしもひとつ訊ねたいのだが」
甘利虎泰が切り出す。
「何であるか」
「あれだけ反目していた諏訪家と小笠原家が、いくら代替わりしたからとて、簡単に手を結ぶとは思えませぬ。もしも、そんなことがあるならば、両家が余程の目的を共有したとしか考えられませぬが」
「余程の目的か。……確かに、そうかもしれぬ」
信方が顎髭(あごひげ)をまさぐりながら答える。
「ならば、それは当家を信濃(しなの)へ入れたくないという頑なな意思の表明ではありませぬか」
「当家を信濃へ入れたくない……。つまり、諏訪と小笠原がわれらを怖れていると?」
「武田家が信濃での足場を固め、勢いをつけて北進することだけを阻止したいという一点で、諏訪と小笠原の利害が一致したのではありますまいか。そのために、これまでの因縁に眼を瞑(つぶ)り、手を組んだと。それについては、当家の代替わりとも無関係ではなく、あれだけ怖れていた信虎様に代わり、家中をまとめあげた晴信(はるのぶ)様にさらなる脅威を感じた。あるいは……」
次の言葉を言い淀(よど)んだ甘利虎泰に、信方が話の続きを促す。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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