第三章 出師挫折(すいしざせつ)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「……ふぅ」
原虎胤が小さく溜息をつきながら頭を振る。
「そうとも限りませぬ」
答えてから一気に盃を干し、言葉を続けた。
「家中の意見がまとまったのならば、それがしも賛同したであろう。確かに、大御屋形様からは眼をかけていただいたが、家中の総意、甲斐一国の立て直しのためとあらば話は別だ。それがしは保身などという狭い了見で物事を見ておらぬし、武田家臣としての分別はわきまえているつもりだ。なにより大義に依(よ)ることを信条としている。皆は誤解しておる。それがしは得物(えもの)を振り回して突進するだけの猪武者(ししむしゃ)ではありませぬ」
「さようか。つまらぬことを訊いて悪かった。許せ、鬼美濃」
信方が頭を下げた。
「頭を上げてくだされ、駿河殿。それが水くさいというのだ。これからは何でも遠慮なく問い、何でも知らせてくれ。もちろん、己なりの意見は言わせてもらうが、無闇に怒ったり、反対したりはせぬ」
「わかった。心得ておく」
信方と原虎胤は盃を持ち上げ、互いの信頼を確認する。
それを見た甘利虎泰と飯富虎昌がほっとしたように盃に口をつけた。
「ところで、跡部。そなたの諜知(ちょうち)はなかなか的を射ているな。評定での言、感服したぞ」
原虎胤が跡部信秋を誉める。
「御言葉、ありがたく」
「大方、われらが来る前に、あの場で話せなかった事柄を報告していたのではないか?」
「……いや、それは」
「是非とも、われらにも聞かせてほしいものだな」
「……駿河殿」
そう言いながら、跡部信秋は信方の表情を窺(うかが)う。
『方々に先ほどの話をしても、よろしいので?』
そんな確認を秘めた目配せを送る。
――鬼美濃が跡部に話を促したということは、評定の場でこの身と同じ危惧を感じたからであろう。ここにいる面々ならば、口も堅い、いざという時のために、この者たちとは認識を同じくしておいた方がよいかもしれぬ。
即座に判断を下し、信方が跡部信秋に承服の言を与えた。
「跡部、皆にも先ほどと同じ話を聞かせてやるがよい」
「承知いたしました。では、評定の場では申し上げられなかった話をすべて、皆様方にお聞かせいたしまする」
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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