第三章 出師挫折(すいしざせつ)2
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「あるいは?」
「あるいは、今の武田家ならば、先代の時よりも与(くみ)しやすしと考えたか……」
「当代の武田を侮っていると?」
原虎胤が眼を剥く。
「いずれにせよ、このところ続いた甲斐、信濃、駿河、相模(さがみ)の代替わりにより、それぞれが強硬な版図(はんと)の塗り替えを目論んでいると考えた方がよかろうと思いまする。われらが信濃へ出て行くつもりならば、相当の覚悟が必要でありましょう」
甘利虎泰は冷静な見解を述べた。
「信濃には大御屋形様の代から多くの血と財を注ぎ込んできた。いまさら、それを無駄にはできぬ。今は辛抱の時だが、いずれは腰を据えて出張るしかあるまい。たとえ、立ち塞がる者が出てこようとも」
原虎胤は決然と言い放った。
飯富虎昌は上輩たちの意見を嚙みしめるように黙って耳を傾けている。跡部信秋は相変わらず気配を消していたが、話の端々で小さく頷いていた。
――各々が申すことは、それぞれの見方として正しい。これだけ的確な意見が出るということは、各人が常に武田家の現状と行末を見据え、熟考しているという証(あかし)であろう。
後輩たちを頼もしく思いながらも、信方は気を引き締める。
――あとは、この意見をまとめる若の手腕が問われるということか。
「皆の言いたいことは、よくわかった。それをこの身に預からせてくれぬか。昌俊の見解も確かめておきたい。その上で、各々の危惧をそれとなく若に伝え、意嚮(いこう)を伺ってみる。必要ならば、何度でも評定の議題にのせればよいのではないか」
「異存なし!」
原虎胤が答える。
「右に同じく」
甘利虎泰をはじめとし、飯富虎昌と跡部信秋も同意した。
「では、それがしが責任を持って預かった」
信方は大きく頷いた。
「そうとなれば、小難しい話は止めにして、この後は無礼講で願いたい。武田名物の蟒蛇(うわばみ)競べとまいろうではないか」
髭面をほころばせ、原虎胤が徳利を持ち上げる。
「望むところにござりまする」
飯富虎昌がいち早く賛同した。
信方と甘利虎泰は顔を見合わせ、苦笑しながら徳利を持ち上げる。
跡部信秋もまったく引く気配はなく、無言で徳利を持ち上げ、浴びるように呑む蟒蛇競べに挑んだ。
くしくも、この五人に原昌俊を加え、新しい武田家を牽引(けんいん)する者たちの会合となっていくのだが、この時はまだ気心の知れた同朋の酒宴の始まりに過ぎなかった。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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