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連載
新 戦国太平記 信玄
第二章 敢為果断(かんいかだん)21 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

   十七 

 駿府(すんぷ)の今川(いまがわ)館で、歌会を終えた武田信虎(のぶとら)が満悦で大盃(おおさかずき)を傾けていた。
 その正面に、歌指南の冷泉(れいぜい)為和(ためかず)と公家衆、今川義元(よしもと)が笑顔で座っている。
 信虎と義元には、それぞれ土屋(つちや)昌遠(まさとお)と太原(たいげん)雪斎(せっさい)が相伴役として侍(はべ)っていた。
「為和様の御歌会は、まことに楽しや。毎回、気分が晴れ晴れといたしまするな。最近では京の都でも歌会を所望する武家の者が少ないと聞きまする。かような風雅を知らずに死んでもよいという輩(ともがら)の気がしれぬわ」
 信虎は勢いよく盃を干し、大声で笑う。
「いえいえ、歌会の内容だけでなく、この今川舘の雰囲気が良うごじゃる。公方第(くぼうだい)にも遜色(そんしょく)なく、駿府の町も小京の如(ごと)し。まことに素晴らしい。ああ、もちろん、躑躅ヶ崎(つつじがさき)館も趣のあるお住まいにごじゃる」
 最後に世辞を加え、冷泉為和が袖で口元を隠しながら笑った。
 一同もそれにつられて笑う。
 歌会の後の酒宴は和やかに進んでいた。
「為和様、次の御歌会は諏訪(すわ)で行うのがよいかもしれませぬな。諏訪大明神の上社に詣でた後、諏訪湖を眺めながら一句ひねるのも一興にござりましょう。諏訪にも、わが娘婿がおりますゆえ、趣向を変えるのもよろしいかと」
 そう言いながら、信虎はつがれた酒をどんどん干していく。
 その疾(はや)さが尋常ではなかった。
 そして、呑むほどに炯眼(けいがん)が爛々(らんらん)と輝き始める。
「そういえば、先日も信濃(しなの)での戦(いくさ)、大勝なさったと聞いておる。信虎殿、遅まきながら、御目出度うごじゃりまする」
「有り難き御言葉。こたびもその祝いにて、駿府へ呼んでもらいました。のう、婿殿」
 信虎は今川義元に向かって大盃を持ち上げる。
「さようにござりまする。お祝いならば、やはり御歌会のような華やかな席がよかろうと思いまして」
 義元は柔和な笑みを浮かべながら盃を持ち上げる。
「信虎殿が信濃を制覇なさる日もそう遠くはないのではありませぬか」
 冷泉為和が再び世辞を言う。
 それを真に受け、信虎が答える。
「滋野(しげの)一統を上野(こうずけ)へ追い出し、信濃の小県(ちいさがた)を制しましたゆえ、次は松本平(まつもとだいら)に出張り、小笠原(おがさわら)家を倒して飛騨(ひだ)から京への道でも開きまするか」
「おお、それはよい」
「当家が信濃を制すれば、東山道(とうさんどう)から京へ上ることができますゆえ、今川家が東海道を制して大津(おおつ)の辺りで落ち合えばよい。公方の足利(あしかが)義晴(よしはる)様に拝謁した後、京で為和様の御歌会に参ずるというのも一興ではありませぬか。義晴様からは早く上洛(じょうらく)せよという書状もいただいておる。いかがか、婿殿」
 酔いが回り、信虎はすっかり饒舌(じょうぜつ)になっていた。
「いえいえ、三河(みかわ)にはまだ斯波(しば)家の残党がおり、さほど容易(たやす)く東海道を制することはできませぬ。まずは駿河(するが)と遠江(とおとうみ)を固めるのが先決かと」
 今川義元は困ったような顔で答える。
「またまた、謙遜(けんそん)なさるな、婿殿。海道一の弓取り、今川家ではないか。三管領(さんかんれい)の斯波家といっても、すでに没落しており、大した守護代もおらぬではありませぬか。戦は勢いが大事じゃ。一気に攻め落としてやればよい。はっははは」
 信虎が盃を呷(あお)る手が止まらない。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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