十 (承前) 武門の婚儀では、婿の実家に輿(こし)が到着する時に請取(うけとり)渡しが行われ、続く輿寄(こしよせ)の儀で花嫁が出てくるのが通例だった。 だが、門内に牛車が入ってきたことで、出迎えた武田の者たちが色めき立つ。躑躅ヶ崎(つつじがさき)館に京雅(きょうみやび)の薫風が吹き抜け、小さなどよめきが広がった。 女人(にょにん)の乗った牛車は、別名、女車(おんなぐるま)とも呼ばれている。 容貌(かんばせ)を隠すために正面の簾(みす)が下げられ、足許に出衣(いだしぎぬ)という色鮮やかに重ねられた裾が出されていた。都ではその襲色目(かさねいろめ)の風情や趣向を見ただけで、貴人同士ならば身分や家柄まで推し量ることができる。 そして、転法輪三条(てんぽうりんさんじょう)慶子(けいし)の女車から出されていた裾は、蘇芳(すおう)の匂(にほひ)といわれる品の良い仕立てだった。 出衣は五衣(いつつぎぬ)と単(ひとえ)を襲(かさ)ねた装束の裾だが、匂は六枚の裏表に鮮やかな色の階調をつけるという意味である。蘇芳の匂いは、淡色(あわいろ)の薄紅から黒味さえ帯びるように見える濃い赤まで五種類の階調を重ねた上に、緑がかった青色の単衣を加えるという趣向だった。 その艶(あで)やかさに衆目が集まる中、まずは二人の侍女(まかたち)が外へ降り立ち、介添えのために手を差し出す。薄い絹を被(かづ)いでふんわりと面(おもて)を覆った花嫁御寮が支えの手を握り、踏台を使って車から降りた。 まだ、半透明の綾絹(あやぎぬ)を通しているため、はっきりと容貌を見ることはできない。だが、真桑瓜(まくわうり)の種のような細面に臙脂(べに)をさした口唇が絹越しに透けて見え、そこはかとない艶美をたたえていることがわかる。 侍女頭の常磐(ときわ)が先頭に立ち、転法輪三条慶子を囲む女人の一団が祝言の間に進む。 しかし、晴信(はるのぶ)はそれを見ることができない。 婿は花嫁御寮が祝言の間に進み、床の上座につくまで別の室で待たなければならないからである。 薄絹の被ぎを外してから、花嫁は床の上座につき、婿が来るのを待った。 少し間をおいて、武田菱の紋を染め抜いた大紋直垂(だいもんひたたれ)を纏(まと)った晴信が現れる。緊張した面持ちの婿が小さく会釈してから床の上座につく。 その時、初めて花嫁の顔を見ることができた。 ――美しい人だ……。 それが最初の印象だった。