よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)20

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

    四十 (承前)

 武田勢の本隊は本陣の国分寺(こくぶんじ)を捨て、神川(かんがわ)の東岸で村上(むらかみ)勢を迎え撃つと決める。
 確かに、この決断は兵法の理に適(かな)っており、こうした局面を打開するには最善の策と思われた。
 晴信(はるのぶ)は素早く退陣の支度を済ませ、兵たちを集めた。
 しかし、東側に位置する国分僧寺(こくぶんそうじ)の南大門を出ようとした時、伝令が駆け込んでくる。
「御注進! 北西十町分(約一キロ)ほど先より敵の大軍が迫っておりまする。先陣の兵が退(ひ)きながら戦っておりまするが、……残念ながら劣勢とのことにござりまする」
「十町分だと! まことか?」
 采配を握り締めた晴信が、眉間(まみあい)が割れたかと思うほどの縦皺(たてじわ)を刻む。
 敵が千曲川(ちくまがわ)を渡ったと思(おぼ)しき尼ヶ淵(あまがふち)砦の辺りから国分寺までは二里半(十キロ)ほどであり、国分寺から科野(しなの)総社までは半里(二キロ)強の距離がある。両軍が押し引きしながら交戦しているのであれば、これほど早く国分寺へ近づくわけがない。
 だが、すでに敵は先陣のあった科野総社を押し通り、北西側にある国分寺へ迫っているという。どうやら、総崩れになった先陣の士気は相当に落ちているらしく、状況は晴信の本隊が撤退の準備をしていた寸刻の間に激変したようだ。 
 加えて、勝勢に乗った敵がどれほど手強(てごわ)く、どれほど疾(はや)く動くかということを、晴信は読み切れていなかった。
 ─どうする……。退いてくる先陣の将兵を迎え入れるために、ここで備えを固めるか。それとも神川まで退く方が良策なのか……。
 脳裡(のうり)で目まぐるしく思案が巡る。
 ――敵の勢いは盛んだ。もしも、神川を渡り切れなければ、われらは最も下策である背水の陣を布(し)くことになる。ならばいっそ、国分寺の建屋を守りに使い、ここで敵を迎え撃ちながら先陣の将兵を助けた方がよいのかもしれぬ。その間に、鬼美濃(おにみの)と飯富(おぶ)の隊が戻ってくれるやもしれぬ。……いや、そう考えるべきではあるまい。……いまは己の願望に縋(すが)るべき時ではなかろう。
 晴信は迷いながらも最善の答えを導き出そうとしていた。
「兄上、いかがなされまするか?」
 信繁(のぶしげ)が険しい面持ちで訊く。
「焦るな、信繁……」
 右手で弟を制しながら考え続ける。
「……撤退は、止(や)めだ。総軍を尼寺(にじ)へ集結させ、敵を迎え撃ちつつ、先陣の将兵をここへ迎え入れるぞ。建屋の利を活かし、防御に徹した戦い方をするよう、皆に伝えよ!」
 晴信は直感のままに即断した。
「御意!」
 信繁は加藤(かとう)信邦(のぶくに)とともに、すぐ総軍を動かし始めた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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