よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)20

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「……わかりました。神長官(じんちょうかん)の守矢(もりや)信実(のぶざね)殿に頼めば、神葬祭の支度はすぐにできましょう。かの者はわれらの傘下におりますゆえ、とにかく手配りを急がせまする」
 駒井政武と今井信甫は準備を整えるために諏訪上社へ向かった。
 信繁は仕事を終えた真田幸綱を労(ねぎら)いに行く。
「大儀であった、真田殿」
「お役に立てましたならば、仕合わせにござりまする」
「急(せ)かせるようで申し訳ないが、明日、本陣へ戻ってもらえぬか。兵は多い方がよいゆえ」
「承知いたしました」
「その代わりに、今宵はゆっくりと休んでくれ。酒肴(しゅこう)なども届けさせるゆえ、皆に振る舞ってほしい」
「もったいなき御言葉にござりまする。帰りは荷駄もありませぬので、長窪城で一泊をせずとも小県に戻れると存じまする」
「さようか。兄上をよろしく頼む」
 信繁が頭を下げる。
「滅相もござりませぬ。頭をお上げくださりませ」
 真田幸綱は神妙な面持ちで頭を下げた。
 その夜、信繁の居室に駒井政武と今井信甫の二人が集まり、談合が始まる。
「御二方に、是非お願いしたきことがござりまする」
 信繁が両手をつく。
「……典厩様、水くそうござりまする。頭をお上げくださりませ」
 駒井政武が困った顔で言う。
「何なりと、お申しつけくださりませ」
 今井信甫も頭を搔く。
「ならば、直入に申しまする。それがしは何としても兄上に諏訪へ御帰還してもらいたいと思うておりまする。されど、撤退の進言には、御耳も貸していただけませなんだ。兄上が頑(かたく)なになっておられることは、御二方も聞き及んでいるのではありませぬか?」
 信繁の問いに、駒井政武と今井信甫は顔を見合わせる。
「……それとなく、聞いておりまする」
 今井信甫が言いづらそうに答えた。
「こたびの痛手が大きすぎ、兄上もまだ受け止め切れておらぬのだと思いまする」
「あの怜悧(れいり)な御屋形様がそれほど動揺なされておられるとは……」
 駒井政武が顔をしかめる。
「さりとて、これ以上、傷ついた将兵たちを小県に留め置くことはできませぬ。何とか早く御帰還を決断していただくために、それがしは諏訪での神葬祭を思いつきました。葬送儀礼があるとなれば、兄上が諏訪へ戻らねばならぬ大義名分となりまする」
「なるほど! 確かに、神葬祭を名分とすれば、御屋形様もご決断なさりやすい」
 今井信甫が膝を打つ。
「されど、それがしが神葬祭を進めたとなれば、兄上はかえって臍(へそ)を曲げてしまうやもしれませぬ。それに惣領(そうりょう)を差し置いて儀礼は進められますまい。よって、ここからが御二方へのお願いとなりまする。もしも、惣領を差し置いて葬送の儀礼を進められる方がいるとすれば、武田家には一人しかおりませぬ」
「ま、まさか!?……大井(おおい)の御方(おかた)様に」
 二人は声を揃えて驚く。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

Back number