十一 天文(てんぶん)七年(一五三八)が清明の候を迎え、新緑が峰走る金毘羅山(こんぴらさん)からは、陽光を照り返す諏訪湖(すわこ)の鏡面が見える。 金毘羅山の頂きにある詰城(つめのしろ)と中腹の居館が諏訪家の本拠であり、その上原(うえはら)城の一室に諏訪頼満(よりみつ)が床に横たわっていた。持病である背中の癰(はれもの)が悪化してしまったのである。 そこに若々しい声が響いてくる。 「お爺様、頼重(よりしげ)にござりまする」 「おお、入ってくれ」 「失礼いたしまする」 音も立てずに襖(ふすま)を引き、諏訪頼重が中へ入り、音もなく戸を閉める。 「お加減はいかがにござりまするか?」 「気分は悪くない。背中をついて寝られぬゆえ、かえって疲れているだけだ。軆(からだ)を起こしてくれぬか、頼重」 「大丈夫にござりまするか」 「構わぬ」 「では、失礼いたしまする」 頼重は背中に触れないよう、慎重に祖父の上半身を起こした。 「この方が楽だ」 諏訪頼満は力なく笑う。 それを見た頼重が無理をさせないために、素早く本題に入ろうとする。 「お爺様、お話とは?」 「武田家から、そなたの婚姻についての申し入れがあった。信虎(のぶとら)殿の三女である禰々(ねね)という娘を諏訪に輿入(こしい)れさせたいそうだ」 「さようにござりまするか」 頼重は感情を押し殺した声で答える。 「ただし、先方の娘はまだ齢(よわい)十一かそこらで、婚儀は今すぐにというわけではない。御裳着(おもぎ)の儀が終わる三、四年後になるであろう。さりとて、こちらから断ることはできぬ」 「異存はござりませぬ」 「それならばよい。……されど、そなたが子を産ませた侍女(まかたち)には暇を取らせなければならぬ。実家の麻績(おみ)に帰らせるのがよいかもしれぬな。ただし、娘は諏訪に残せ。桑原(くわばら)か、高島(たかしま)の城に住まわせておけば、そなたも時々会いに行くことができよう。ところで、あの子は、いくつになった?」 「……於麻亜(おまあ)は今年で七つになりまする」 頼重が言った麻亜とは、侍女であった於太(おだい)の方との間に生まれた一人娘である。