十五 これが甲府盆地を泥沼にした元凶か。 竜王鼻(りゅうおうばな)と呼ばれる高岩に上り、晴信(はるのぶ)は雄渾(ゆうこん)な釜無川(かなましがわ)の流れを見つめていた。 ――今は悠々と流れる普通の河にしか見えぬが……。 「若、足許にお気をつけなされませ。先日の大雨で岩肌が崩れやすくなっておりまする」 板垣(いたがき)信方(のぶかた)が前のめりになった晴信に声をかける。 「ああ、わかった」 少し後ろへ下がりながら、晴信は随行した地元の者に問いかける。 「輿石(こしいし)殿、今は穏やかに見える、この河があれほどの洪水をもたらすのであろうか?」 「さようにござりまする」 輿石市之丞(いちのじょう)は小さく頷(うなず)きながら、言葉を続ける。 「この釜無川の隠された正体は、雨の量によって大きく姿を変える暴河(あばれがわ)にござりまする」 「隠された正体は、暴河……。もう少し詳しく教えてもらえぬか」 「はい。この釜無川は西の赤石(あかいし)山脈と東の秩父(ちちぶ)山地に降りました雨や雪解け水を集め、山間を流れて韮崎(にらさき)で甲府盆地へと入りまする。盆地西部を流れた後、南西端で笛吹川(ふえふきがわ)と合流し、そこから南は富士川(ふじがわ)と呼ばれ、通常は甲府盆地に豊かな水利をもたらしまする」 「その豊かな水源が、なにゆえ変貌するのであろうか」 「それには二つの理由が考えられるかと。赤石山脈の手前には巨摩(こま)の山地がありまする。ここにも多くの支流が流れており、釜無川と繋(つな)がっていますが、実はこれらのほとんどが急流で、大雨が降った場合、増水するだけでなく大量の砂礫(されき)や雑木を釜無川へ運び込みまする。この土石雑木が流れを大きく荒れさせ、予想できぬ暴河へと変貌させまする」 輿石市之丞はこれまで見てきた釜無川の氾濫(はんらん)について説明した。 この者は竜王の地元に暮らし、石工衆(いしくしゅう)として河石を扱っている。そのため、石の産地として長らく釜無川を観察してきた。 「なるほど。して、もうひとつの理由は?」 「もうひとつは、われらの眼前にありまする」 三人の視線の先では、釜無川が御勅使川(みだいがわ)と合流していた。