連載
新 戦国太平記 信玄
第二章 敢為果断(かんいかだん)16 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

   十五  
   
 これが甲府盆地を泥沼にした元凶か。
 竜王鼻(りゅうおうばな)と呼ばれる高岩に上り、晴信(はるのぶ)は雄渾(ゆうこん)な釜無川(かなましがわ)の流れを見つめていた。
 ――今は悠々と流れる普通の河にしか見えぬが……。
「若、足許にお気をつけなされませ。先日の大雨で岩肌が崩れやすくなっておりまする」
 板垣(いたがき)信方(のぶかた)が前のめりになった晴信に声をかける。
「ああ、わかった」
 少し後ろへ下がりながら、晴信は随行した地元の者に問いかける。
「輿石(こしいし)殿、今は穏やかに見える、この河があれほどの洪水をもたらすのであろうか?」
「さようにござりまする」
 輿石市之丞(いちのじょう)は小さく頷(うなず)きながら、言葉を続ける。
「この釜無川の隠された正体は、雨の量によって大きく姿を変える暴河(あばれがわ)にござりまする」
「隠された正体は、暴河……。もう少し詳しく教えてもらえぬか」
「はい。この釜無川は西の赤石(あかいし)山脈と東の秩父(ちちぶ)山地に降りました雨や雪解け水を集め、山間を流れて韮崎(にらさき)で甲府盆地へと入りまする。盆地西部を流れた後、南西端で笛吹川(ふえふきがわ)と合流し、そこから南は富士川(ふじがわ)と呼ばれ、通常は甲府盆地に豊かな水利をもたらしまする」
「その豊かな水源が、なにゆえ変貌するのであろうか」
「それには二つの理由が考えられるかと。赤石山脈の手前には巨摩(こま)の山地がありまする。ここにも多くの支流が流れており、釜無川と繋(つな)がっていますが、実はこれらのほとんどが急流で、大雨が降った場合、増水するだけでなく大量の砂礫(されき)や雑木を釜無川へ運び込みまする。この土石雑木が流れを大きく荒れさせ、予想できぬ暴河へと変貌させまする」
 輿石市之丞はこれまで見てきた釜無川の氾濫(はんらん)について説明した。
 この者は竜王の地元に暮らし、石工衆(いしくしゅう)として河石を扱っている。そのため、石の産地として長らく釜無川を観察してきた。
「なるほど。して、もうひとつの理由は?」
「もうひとつは、われらの眼前にありまする」
 三人の視線の先では、釜無川が御勅使川(みだいがわ)と合流していた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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