よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)11

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   六十

 松本平(まつもとだいら)の要城(かなめじろ)となった深志(ふかし)城で、信玄は宿敵の行状について跡部(あとべ)信秋(のぶあき)から報告を受けていた。
「京の都でおだて上げられ、景虎(かげとら)はずいぶんと浮かれていたようだな」
 信玄が皮肉な笑みを浮かべる。
「朝廷や幕府から、さして実利のない餌をぶら下げられ、まんまと喰い付いたようにござりまする。密かに三好(みよし)一派との対決までが画策されていたようにござりますが、さすがにそこまでには至らず、公方(くぼう)殿の意嚮(いこう)のままに在京が延びたというのが実状かと」
 跡部信秋は数多(あまた)の透破(すっぱ)を畿内に放っており、その諜知(ちょうち)によって信玄は信濃(しなの)に居ながらにして詳細を摑(つか)むことができた。
「朝廷に近きところへ植え付けました草の者から、面白き話を聞き及びました」
「何であるか」
「近衛(このえ)家の若き関白と長尾(ながお)景虎がなにゆえか意気投合し、数多のきやもしなる若衆(わかしゅ)を侍(はべ)らせ、夜通し酒盛りをしていたとのことにござりまする。女人をまったく排し、漢だけの酒宴が近衛邸で度々開かれていたと」
 信秋の言った「きやもし」というのは、「華奢(きゃしゃ)」という意味だった。
「景虎の若色(わかいろ)漁りに関白までが付き合ったということか?……京の都で夜な夜な衆道(しゅどう)の会とはな。ふっ、正室も持たずに酔狂なことよ」
 信玄が苦笑する。
 衆道とは元々、漢同士が義兄弟、または生涯にわたる主従の契りを結ぶことである。
 だが、そのなかには年長の念者(ねんじゃ)と若衆が男色の関係になることも含まれており、これを「念此(ねんごろ)になる」という。
 当世においては、武将が小姓として眉目良い寵童を側(そば)に置くことは珍しくなく、衆道が忌み嫌われているわけではない。
 しかし、景虎のように「生涯、女人不犯(ふぼん)」を公然と唱えている者は、確かに珍しかった。
「都でよほどの愉(たの)しみがありましたゆえ、いたずらに在洛が延びたのでありましょう」
「そのおかげで、われらは善光寺平(ぜんこうじだいら)でじっくりと仕事をすることができた」
「英多(あがた/松代〈まつしろ〉)の新城にござりまするか?」
「さようだ。間もなく、典厩(てんきゅう)と菅助(かんすけ)が進捗について報告にくる。ところで、伊賀守(いがのかみ)。城の見直しはどうなっているか?」
 信玄は今回の築城に際し、自領の城郭配置を根本から見直すことを命じていた。
「こちらに地図をご用意してありまする」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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