第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)11
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
信玄は次の言葉を言い淀(よど)む。
しかし、意を決して答える。
「……その時は、母胎を救うことを優先してくれ。母胎さえ助かれば、また子が授かることもある」
そう答えた。
しかし、それは方便だった。真意はまったく違っていた。
新しい命が犠牲になることに対する後ろめたさはあったが、なんとしても諏訪御寮人だけは救いたいという気持ちが勝ってしまった。
しかも、その本心を吐露すれば、再び子が授からなくとも構わないとさえ考えている。それほど、形振(なりふ)り構わず諏訪御寮人の無事を思う己がいた。
「まことに、それでよろしいので?」
薬師が念を押す。
「構わぬ」
「……承知……いたしました」
薬師は項垂(うなだ)れるように深く頭を下げる。
「とにかく、薬師と産婆を増やし、常に様子を見られるよう手配りしてくれ。人手が足りなければ、甲府からも呼び寄せるゆえ」
「畏(かしこ)まりました」
「話をするのは眼が覚めるまで待つことにする」
信玄は険しい面持ちで居室へ向かった。
――べてが順調に進むと見えた矢先に、なにゆえ、かようなことが起こるのか……。
それが正直な思いだった。
――正直に申せば、子ができたと聞かされた時は信じ難かった。四郎を授かってから十四年、弟ができる気配などなかったし、このまま於麻亜(おまあ)と穏やかに歳(とし)を重ねられればよいと思うていた。もちろん、すべてのことはこの身に責があり、新たな子ができたことは望外の喜びであった。されど、まさか於麻亜にこれほど負担がかかるとは思わなんだ。親としては失格かもしれぬが、母胎が危うくなるほどならば、子など授からなくてもよかった……。
その考えが明らかに間違っていることは、痛いほどわかっていた。
しかし、それが己の偽らざる心境でもあった。
――今は何とか無事に出産を終え、二人が助かることを祈るしかない。……まずは御師(おし)様にお願いし、安産祈願の祈禱(きとう)法を授けていただこう。
信玄は長禅寺(ちょうぜんじ)へ早馬を飛ばし、岐秀(ぎしゅう)元伯(げんぱく)の来訪を願う。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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