第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)11
海道龍一朗Ryuichiro Kaitou
「そなたが元気になったならば、四郎を元服させ、諏訪の名跡(みょうせき)を嗣(つ)がせるつもりだ。名は、……そうだな、名は『勝ちを頼む』ということで、勝頼(かつより)としよう。それに、新しい吾子は……弟の名は、兄と共に大きく勝つ。大勝だ……大勝丸がよいな。どうだ、強そうな名であろう」
信玄が励ますように言葉をかけた。
諏訪御寮人が再び微かに頷いたかのように見える。
しかし、次の刹那、握っていた指が力なく解(ほど)けてしまう。
「於麻亜、どうした?」
信玄が己の頰を諏訪御寮人の頰に当てる。
透き通るような冷たさだった。
その肌からは、すでに生気が失われている。
そして、口唇からは細い息さえなくなっていた。
信じ難い光景だけが、信玄の眼前にあった。
一瞬だけ眼を開いた諏訪御寮人は、眠るように息を引き取っていた。
まるで蠟燭(ろうそく)の焔(ほのお)がひときわ明るく輝いた後、ふつりと消えてしまったかのように……。
あまりにも突然の逝去だった。
それを受け止めきれないまま、己の口から呼びかけの言葉だけが口をついて出てしまう。
「……於麻亜、どうした。もう一度、眼を開けよ。余を見てくれ。……眠っただけなのであろう?」
信玄は狼狽(うろた)えながら声をかける。
得も言われぬ美しさでありながら、ただ氷河の如く蒼白な諏訪御寮人の面(おもて)だけがそこにあった。
「……於麻亜、余を置いて、一人でどこへ行くつもりだ?」
信玄は苦しげに声を振り絞る。
「まだ、行ってはならぬ!……余にはまだ、そなたが必要なのだ! 戻れ。戻ってくれ、於麻亜! 於麻亜! 於麻亜ぁ!」
叫びかけても、諏訪御寮人は身動(みじろ)ぎもしなかった。
その声を聞きつけ、寝所の外から薬師が駆けつける。
「……御屋形様、いかがなされましたか?」
「構うな!」
思わず怒声を放ってしまう。
その途端、言葉にならない感情に揺さぶられた。右手で口を塞ぎ、漏れそうになる嗚咽(おえつ)を止める。
- プロフィール
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海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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