連載
新 戦国太平記 信玄
第一章 初陣立志7 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 相手の申し訳なさそうな表情を見て、信方(のぶかた)が口をへの字に曲げ、渋々ながら言う。
「御老師、頭をお上げくだされ。ここまでのお話は得心(とくしん)いたしました。確かに先の事を考えるならば、今川家との和睦には利があり、御屋形(おやかた)様が承諾なされたのならば、筋が通っているという証(あかし)にござりまする」
 どうやら、太原(たいげん)雪斎(せっさい)は寸分の隙もない理を武器とし、甲斐の懐へ飛び込んできたようだ。
「気難しい御屋形様を理詰めで説得なされた御老師の手腕も見上げたものだと思いまする。されど……」
 信方は鋭い視線を岐秀(ぎしゅう)禅師に向ける。
「……されど、あえて申せば、山門の裡(うち)で問答だけを鍛えた方々は、どこか浮世離れなされており、俗世の荒々しさを見逃している節がありませぬか。確かに、形は和睦ということで、今川家との間には和平が訪れまする。されど、かような大乱世においては、ひとつの和睦がまた新たな戦いを生むというのも真実であり、こたびの同盟により武田家はせっかく和を結んだ諏訪(すわ)家と再び戦(いくさ)を構えることになりましょう。戦というものは始まってしまえば勝負がつくまで決着の仕方が見えなくなり、そこには山門の方々が考えるよりも大きな欲というものが渦巻き、多くの血が流れ、それが信じ難い怨嗟(えんさ)や怨恨を生むことにもなりまする。それゆえ、われら武士(もののふ)は三十三の御首級(みしるし)を区切りとして首供養をいたしまする。逆に申せば、ひとつの戦に出陣する際、終わった後には首供養をするぐらいの手柄を立てようという覚悟で戦いに臨みまする。それが敵の首級を上げて褒美をいただく武士というものの性(さが)であり、それだけの業を背負って生きておるという自覚がありまする」
 首供養とは、戦場で刎(は)ねた敵兵や武将の首級が三十三に達した時、行わなければならない法要のことだった。
 戦場で挙げた首級は、持ち帰って首実検を済ませなければ、戦の褒賞をもらえない。つまり、激しい戦いに生き残らなければならず、一人の武将が首供養を行うというのは尋常なことではなかった。
 それでも、信方が言ったように、ひとかどの武将ならば、ひとつの合戦で首供養をしなければならないぐらいの手柄を挙げようという気概で臨み、それだけ戦いが苛烈になるということだった。
「武田家が西へ出張っていけば、諏訪頼満(よりみつ)を打ち破っただけで事は済みませぬ。次々と新たな敵が現れ、おそらく信濃を制するまで戦いは終わらなくなりましょう。それは今川家とて同じであり、上洛(じょうらく)を標榜(ひょうぼう)して西へ出るからには、中途半端なところで戦を終わらせることはできなくなりまする。実際、どれほどの血が流れるのか、想像もつきませぬ。両家が揃って西進するということには、さような意味があることを、御老師や太原雪斎殿は承知の上で話を進められていると思うて、よろしかろうか?」
 重々しい声で問いを放ち、信方は相手を見据えた。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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