序 峻峰に囲まれた甲斐国の新府(後の古府中)に、危機が迫っていた。 戦乱を呼び覚ます、敵勢の夥しい蹄音である。 この年、大永(たいえい)元年(一五二一)八月末、東海一の弓取りと称される今川家の大軍が富士川沿いを走る身延道(みのぶみち)(河内路=甲駿往還)を北上し、甲斐の南部を蹂躙した。 明らかに武田家の本拠地を狙っての侵攻だった。 一報を聞いた甲斐の守護職(しゅごしき)、武田信虎(のぶとら)は思わず歯噛みする。 「おのれ、氏親(うじちか)めが! またしても懲りずに、わが領国へ土足で踏み入るか。こたびこそ、あ奴の素っ首を落としてくれようぞ!」 険のある眼差しを駿府のある方角に向け、憎々しげに呟く。 その双眸は異様にぎらついており、側近の重臣でさえも眼を逸らしたくなるほど凶暴な光を宿していた。家臣の誰もが怖れる「餒虎(だいこ)の眼差し」である。 餒虎とは唐語で「飢えて牙を剥く虎」という意味だった。 「常陸介(ひたちのすけ)、すぐに兵を集め、戦の支度をさせよ!」 信虎は重臣筆頭の荻原(おぎわら)昌勝(まさかつ)に命じる。 「さ、されど、急なことゆえ、どれほどの足軽が揃えられるか……」 この当時、足軽は常に主君の側で仕える侍ばかりではなく、半農半兵の者たちがほとんどだった。 合戦は農閑期に行われ、陣触れによって農民たちが徴発される。つまり、戦支度にはそれなりの時が必要であり、急な戦いに即応しようとすれば、兵の数が思うように揃わない。 「ご託を並べる暇があるならば、すぐに頭数を揃えるために走らぬか! 逆らう者は、村ごとまとめて灰にすると申し渡せ!」 信虎の怒声が飛ぶ。 「しょ、承知いたしました。すぐに」 荻原昌勝が首を竦めながら答えた。 「留守居役は信泰(のぶやす)とその倅でよかろう」 信虎は新府の守将に重臣の板垣信泰と息子の信方(のぶかた)を指名する。 「直々に申し付けたいことがあるゆえ、呼んでまいれ」 「御意!」 荻原昌勝はすぐに同輩の処(ところ)へ走った。