信虎は宿敵の今川氏親と嫡子の氏輝(うじてる)が相次いで逝去した後、駿河で起きた花倉の乱を利用して今川家との和睦をなした。 だが、それを不服とする相模の北条氏綱(うじつな)と敵対するようになり、同じく武蔵で北条家と争っていた扇谷上杉家と盟を結ぶ。その証として太郎の婚姻が決まった。 長男とはいえ、まだ元服もしていない十二歳の童に嫁を迎えるということは異例であり、明らかに政略だけを見据えた婚儀だと思われた。 しかし、信方は密かに喜んだ。 ──もしかすると、この機会に若の元服が早められるかもしれぬ。 そう思ったからである。 しかし、輿入れの日取りだけが決まり、元服の話はついに出なかった。そのため、今年こそはと期待した。 太郎の御膳を確認した信方は、小さく溜息をついて座り直す。そこにはしっかりと甘物が据えられていた。弟の次郎と何ら変わりない献立だった。 ──いや、まだ若は十三。元服までに学ばねばならぬことも、たくさんあるのだ。この身が焦りすぎて、どうするか……。 信方が己を戒め直しているところに、家臣たちが集まり始めた。 いち早く席に着いている太郎を見て、皆は一様に驚く。それでも当人は、真っ直ぐに背を伸ばし、父が来るのを待っていた。 御一門と家臣が着座し終わり、あとは主君を待つばかりとなった。 しばらくして、太刀持ち役の荻原虎重(とらしげ)を先頭に、信虎が現れる。大股で大上座へ進み、どかりと胡座をかいた。 それから、ゆっくりと大広間を眺め渡す。主君以外は皆、緊張した面持ちで正座していた。 「待たせたの。それでは新年の祝宴を始めるとしよう。昨年の働き、皆、ご苦労であった、本年も宜しく頼む。余からの労いを含め、本日は無礼講の椀飯振舞といたす。皆、堅苦しい格好で座っておらぬで、遠慮なく膝を崩せ」 信虎にそう言われても、胡座に直る者は誰一人としていない。 大上座で餒虎の眼が光っているからである。 「どうした。ほれ、常陸介。そなたから膝を崩さぬか。長老がしゃちほこ張っていたのでは、他の者は胡座もかけまい」 「有り難き仕合わせにござりまする」 荻原昌勝は大仰に頭を下げ、胡座に直る。 それを見た重臣が順に膝を崩していく。毎年恒例の光景だった。 それでも太郎と次郎は行儀良く正座したままだった。