「……もうしわけ……」 「三略が甘っちょろいからといって、孫子が優れているというわけでもないぞ! その兵法を暗記しただけで戦に勝てるならば、誰でも君主になれてしまうであろう。弓のひとつも引いたことがなく、敵の額を矢で射抜いたことのない坊主如きでもな。孫子など、今では誰でも学べるのだ。戦とは、それを知り尽くした同士が命の取り合いをするものなのだ。それさえも知らぬくせに、軽々しく君主の徳などと口にいたすな! うぬは口だけの坊主の教えを鵜呑みにする、小賢しい未熟者に過ぎぬ! かような場で得意げに出過ぎた真似をするな! 恥を知れ、恥を!」 脇息を蹴って立ち上がりそうな信虎を見て、さすがに荻原昌勝が止めに入る。それほど危うい状況となっていた。 「御屋形様、どうか、それぐらいでご勘弁を。まだまだ未熟者のそれがしも、耳が痛うござりまする。お願いいたしまする」 困ったように笑う老家宰を、信虎は荒い息を吐きながら見る。 「当たり前のことを申しておるだけだ、常陸」 「わかっておりまする。どうか、ご堪忍を」 「……仕方がない」 信虎は己を静めるように、長い息を吐く。それから、落ち着いた口調で言う。 「勝千代、常陸の顔に免じて、これくらいで許してやる。されど、今後のためにひとつだけ、そちが耳を塞ぎたくなるような話をしておく」 そう言った父の眼がこれまでで一番恐ろしく見える。 太郎は固唾を吞み、微かに軆を震わせながら頷いた。