「それ主将の法は、務めて英雄の心を攬(と)り、有功を賞禄し、志(こころざし)を衆に通ず。ゆえに衆と好みを同じうすれば、成らざるは靡(な)く、衆と悪(にく)しみを同じうすれば、傾むかざるは靡し。国を治め、家を安んずるは、人を得(う)ればなり。国を亡ぼし、家を破るは、人を失えばなり。含気(がんき)の類い、咸(みな)その志を得んことを願う」 太郎は「三略」の上略(じょうりゃく)冒頭をすらすらと暗誦してみせる。 その淀みなさに、一同は感嘆の息を漏らす。 しかし、それを聞きながら、信虎の表情が変わっていく。利発な息子を見て緩んだのではなく、獲物を見つけたように凝視していた。 ──ま、まずい……。御屋形様にさようなものをお聞かせしては……。 板垣信方は思わず拳を握り締める。 「何であるか、それは?」 信虎は底冷えするような声で訊ねる。 「はい。三略の上略篇、冒頭の一節にござりまする」 「さようなことはわかっておる! そちが暗誦した文言に、いかような意味があるのかと聞いておる」 「はい。その意味は、そもそも君主たる将が己の法とすべき事は、進んで英雄の心を汲み入れ、功績のあった者に賞と禄を与え、己の志を民に通じさせることである。ゆえに民と好みを同じくすれば、成し遂げられないことはなく、民の嫌う事を同じくすれば、傾かない者はいない。国を治めて家を安んずることは、人を得て初めて成し遂げられる。国を滅ぼし、家が破れるのは、人を失うからである。胸に含まれた気持ちのすべて、誰もが皆、志を得ることを願っている。さような意味と教わりました」 太郎は習ったことを、すべて報告した。 「さようなこともわかっておる。うぬは聡(さと)そうな振りをしているが、ただの驢馬(ろば)か? 自惚れるな! 最後まで聞いてやったが、さようなことはすべて学んできた上で、皆、この席に座っておるのだ。知らぬと思うておったか?」 「……いいえ」 思わず顔を赤らめ、太郎は俯く。 父の言ったことは確かであり、得意げに三略を暗誦してみせた己が、急に恥ずかしくなった。 「余が訊いているのは、さようなことではない。なにゆえ、わざわざ、この場で、さような一節を選んだのかという意味だ。それを申してみよ」 「それは……。ちょうど今、ここを学んでおりまして、元伯禅師殿からも、この冒頭は三略が語る君主の徳を最もわかり易く示した一節だと教わったからにござりまする」 太郎は一生懸命に理由を述べる。隣で、次郎が心配そうに成り行きを見ていた。 ──それを言うてはいけませぬ! 板垣信方は心中でそう叫んでいた。