連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

 家臣の慌てぶりを意に介さず、信虎は眼を細めて虚空を睨(ね)めつける。
「今川修理大夫、京に尾を振る忌々しき歯黒かぶれめが! 源氏の風上にも置けぬ!」
 己が甲斐源氏の宗家に生まれたことを、この上なき誉れと思っていた。
 今川家は「御所絶えなば吉良(きら)が嗣ぎ、吉良絶えなば今川が嗣ぐ」と謳われるほど、足利公方家をはじめとする清和源氏の本流に近い血脈である。しかし、当代の惣領(そうりょう)、今川氏親は京の中御門(なかみかど)家から正室を迎え、上流の公家との繋がりが深まってか、連歌や蹴鞠を好んで駿府を京風に創り変えた。
 それを軟弱と蔑み、信虎は会ったこともない今川家の惣領を毛嫌いしている。
 その宿敵の侵攻に対し、急ぎ戦支度を整えなければならなかった。
 急拵えで編成された武田勢は、鰍沢(かじかさわ)から身延道を南下して河内(かわうち)(峡南)に布陣する。
 そして、富士山の西麓で両軍が睨み合う形となった。
 富士西麓は甲斐と駿河の国境が入り組み、両家にとって長らく争いの火種となっている。合戦の勝敗によって国人衆や地頭たちの帰属も、目まぐるしく変わった。
 今年の二月にも、今川勢が河内へ出張ってきたが、武田信虎はこれを撃退した。
 だが、今回はまったく状況が違っている。
 今川勢は一万を超える大軍であり、武田勢の兵は三千弱しか集まっていない。敵方が入念な合戦の準備を行った上で、信虎の虚を突いて出兵してきたということだ。
 しかも、相手の総大将は旗印から察するに、高天神城(たかてんじんじょう)々主の福島(くしま)正成(まさしげ)だった。今川氏親の重臣であり、家中随一の猛将という呼び声も高い剛の者である。
 それらの事柄を見ても、武田勢が完全に後手を引かされたのは明らかだった。
 暦が変わって九月六日になると、福島正成は大島(身延町)で武田勢の先鋒を打ち破り、余勢を駆って巨摩(こま)郡の富田(とだ)城を攻め落とす。この城は甲斐の新府から南西に三里半(約十四`)ほどの地点にあり、武田信虎は喉元に刃を突きつけられる形となる。
 今川勢は富田城に陣取り、武田家の本拠地へ進攻すべく様子を窺った。
 信虎は新府から二里(約八`)しか離れていない飯田河原まで後退し、荒川を挟んで敵を迎え撃つ構えを取る。今川勢にここを突破されれば本拠地の陥落は免れず、武田勢としては絶対に負けられない窮地に立たされた。
 そして、富田城陥落の一報は躑躅ヶ崎(つつじがさき)に建てられた新しい館にも届けられ、信虎の身内や家臣たちに大きな動揺が走る。
 これを静めるべく、留守を預かった重臣の板垣信泰が動いた。
「信方、今川の軍勢が釜無川(かまなしがわ)近くの竜地台まで押し寄せている。念のため、大井の御方様に要害山(ようがいやま)城へお移りいただくぞ。そなたが供をせよ」
 信泰は息子の信方に、武田信虎の正室を警護するよう命じる。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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