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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第一章 初陣立志 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「政元殿は修験道に没頭し、独り身を貫いたため実子はおらぬと聞いておりますが、その実は衆道にのめり込んだため、子ができなかったのではありますまいか。そのために三人もの養子を取らざるを得ず、争いに巻き込まれて暗殺されてしまいました。少し話がそれましたが、伊勢宗瑞が京の管領職と昵懇の仲であり、明応の政変にも関わっていたゆえ、伊豆の韮山(にらやま)城を奪取することができたのではありますまいか。韮山には堀越公方様の御所もあり、何より源頼朝(よりとも)様を支えた執権北条家の故地にござりまする。そう考えれば、改姓まで繋がると存じまする」
「なるほど、すべては京の幕府と管領職の威光を使うた結果か。ふん、まさに虎の威を借りる狐ではないか」
 信虎は鼻で笑い飛ばし、大盃を呷(あお)る。すでに何杯目か、数えることも億劫なほど呑んでいた。
「されど、遣口(やりくち)はなかなか巧妙にござりまする。宗瑞が関東へ出張ったのは、扇谷上杉定正(さだまさ)に乗せられて小田原城を奪取してからにござりまする。ここからの相手は関東管領職や古河公方様が相手となりますゆえ、一筋縄では行くはずがありませぬ。頼りにしていた政元殿も仕物にかけられてしまいましたし」
 飯田虎春の言った「仕物にかける」とは、暗殺のことである。
 京の管領職、細川政元は澄之(すみゆき)、澄元(すみもと)、高国(たかくに)の三人を養子にしたが、澄之の補佐役だった香西(こうざい)元長(もとなが)に暗殺されてしまったのである。幕政を牛耳っていた政元がいなくなったことで、影響は細川家の内訌に留まらず、公方の足利義澄(よしずみ)と義稙(よしたね)の争いにも波及し、幕府の崩壊を招いてしまったのである。
「されど、さすがに支度は怠っていなかったようで、宗瑞は倅に鎌倉幕府の名門、執権北条家の名跡を嗣がせることで、関東管領職と対抗する名分を得ようとしたのでござりましょう。これも御屋形様が仰せの通り、虎の威を借りる狐の策に過ぎませぬが、絡まり合う細い縁の絲を手繰りよせ、うまく仕掛けを創り上げたと思いまする。これが、まやかしの種ではありますまいか」
「わかりやすかったぞ、虎春」
「有り難うござりまする。御屋形様のお訊ねがあった時のために、日々精進し、有用な話を積み重ねておりまする。されど、あとひとつだけ申し上げたき事柄がござりまする」
「何であるか」
「北条が幻の如き名分を掲げて武蔵へ出張るのならば、御屋形様は真の誉れをもって対抗すべきと考えまする」
「それは、いかような策か?」
「ただいま当家は山内上杉家と扇谷上杉家に密接な関係がありまする。これに小弓(おゆみ)公方の足利義明(よしあき)様、古河(こが)公方の足利晴氏(はるうじ)様と天下の副将軍まで務めました今川家を加え、北条の包囲網を創りまする。さらに、御屋形様が上洛なさり、関八州の現状を訴え、鎌倉府の再興を唱えてはいかがにござりまするか。それは名門、甲斐源氏の棟梁であらせられる御屋形様にしかできぬと存じまするが」
 飯田虎春の弁舌に、皆は感心していた。
 特に太郎は真剣な面持ちで話に聞き入っている。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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