「父上もそなたと同じように思うてくださればよいのだがな」 太郎は父親の評価を気にしているようだった。 「あまり細かい事は、お気になされますな。御屋形様は雄渾を大事になさる御方にござりまする」 「そうであったな。では、すぐに着替えて大広間へ向かう。父上や重臣の方々を待たせるわけにはいかぬ」 太郎は浄衣を脱ぎ、手早く大紋直垂に着替える。 その様子を見守りながら、板垣信方は微かに眉をひそめる。 ──若は御屋形様の眼を気にしすぎておる。されど、それも致し方ないかもしれぬ。次郎様への溺愛ぶりに比べ、御屋形様は若に対して素気なさすぎるからだ。御屋形様に認められようとして、若が努力をすればするほど、冷たい態度で無視なされる。最初は嫡男として強くなるために試練をお与えになっているのだろうと思うていたが、最近では少し心配になってきた。これ以上、溝が深くならねばよいのだが……。 侍烏帽子の紐をきりりと結び、太郎は着替えを終える。 「板垣、では参ろう」 「御意」 二人は大広間へ向かった。 皆が集まる時刻にはまだ早く、節饗の膳が並ぶ大広間に、太郎と板垣信方だけがだいぶ離れて座る。 家中の席次は厳格に決められており、長男の太郎は信虎の大上座に向かって右側の上座につき、その隣が次郎で、以下の一門衆が並ぶ。 その対面に重臣たちの席が設けられ、信方の席次は真中よりも少し上席となっている。長男の傅役だとはいえ、隣に座れるわけではなかった。 ──お一人になると、若は御屋形様の御顔色を窺いすぎるようなきらいがある。隣か、せめて向かい側にいるならば、取りなしようもあるのだが……。 しかし、太郎の向かい側には、家宰の荻原昌勝を筆頭に土屋昌遠(まさとお)、飯田虎春(とらはる)、飯田有信(ありのぶ)、加藤虎景(とらかげ)ら信虎の側近が並ぶことになっている。その次が信方の父、板垣信泰なのだが、昨年の秋から病臥し、養生のために本日は欠席していた。 信虎が重用している家臣たちは、今年で齢四十六となった信方より若い者たちもいる。いずれも従順な家臣が揃い、結束は固かった。主君に諫言しようなどという者はいない。 主君を諫めるような武骨な家臣は、信虎がすべて放逐してしまったからである。