よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

  三十一(承前)

「これで城攻めの策は見えたな。先陣は二手に分かれ、まず平賀(ひらが)城と内堀砦を制し、経路を確保する。その後、一隊は南から二の曲輪(くるわ)を囲み、もう一隊は西から北側を目指し、水の手を断つ。それから三の曲輪を囲み、敵の城兵に重圧をかけよ。できれば、そのまま降伏開城させたいが、敵が粘るようならば、二隊が同時に曲輪を攻めて敵兵を本丸に追いやればよい。あとは大井(おおい)貞清(さだきよ)が潔く下るか、意地を張り通すかを見極めればよい。どうだ?」
 晴信(はるのぶ)の問いに、信方(のぶかた)をはじめとする重臣たちが大きく頷(うなず)いた。
「先陣がそれがしと鬼美濃(おにみの)のままでよければ、すぐにでも出張りまするが」
 信方が確認する。
「では、二の曲輪を板垣(いたがき)、三の曲輪を鬼美濃に任せる。余と加賀守(かがのかみ)で本隊を率いる。明日は各隊で策を確認し、出立は明後日の払暁としよう」
「承知いたしました」
「右に同じく」
 原(はら)虎胤(とらたね)も同意した。
 そして、五月八日の払暁と同時に、内山(うちやま)城攻めが開始される。
 まずは飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)と諸角(もろずみ)虎定(とらさだ)が率いる別働隊が平賀城と内堀砦に向かう。しかし、ここに敵兵の姿はなく、すんなりと拠点を奪取した。
 信方と原虎胤の先陣が素早く内山城へ寄せ、南北に分かれて包囲を開始する。その間に、跡部(あとべ)信秋(のぶあき)が率いる足軽隊が、地つきの叉鬼(またぎ)の嚮導(きょうどう)で最北の井戸を制した。
 五月九日には晴信が本隊を率い、内山城下へ着陣する。翌日、敵方の水の手を断ったことを確認してから、大井貞清に使者を出し、降伏開城を勧告した。
 しかし、五月十一日に思わぬことが起こる。
 この日は午前中から空が厚い雨雲に覆われ、午後には雷雨の荒天となった。
「今頃、敵の城兵はありったけの桶(おけ)や盥(たらい)を引っ張り出し、雨水の確保か」
 本陣の帟(ひらはり)で晴信が苦笑する。
「天の気にだけは、逆らえませぬ」
 原昌俊(まさとし)が苦い面持ちで曇天を見上げた。
 十一日に天候が荒れたせいで少しばかり予定が変わったが、五月十四日には信方と原虎胤の先陣が同時に二つの曲輪へ攻め入る。だが、中は蛻(もぬけ)の殻(から)であり、敵の城兵は本丸に集結し、籠城の態勢を固めたようだ。
 晴信は二の曲輪へ入り、再び本丸に使者を出す。
 大井貞清は返答を留保し、籠城を続けようとした。
 武田勢は毎夜にわたり、二つの曲輪で陣鐘や太鼓を打ち鳴らして鬨(とき)の声上げる。今にも攻め入るぞという脅しをかけ続け、敵兵の眠りさえも奪った。
 そして、五月二十日、ついに大井貞清が降伏し、本丸の扉を開く。
 内山城の陥落だった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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