よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 補任の儀が終わった後、二人の公卿を指南役とした和漢聯句(わかんれんく)の会が開かれる。
 これは 発句(ほっく)を和歌で始め、続いて五言の漢詩句を添え、それ以後は和漢を交互に詠み進めるという形式だった。
 和漢聯句は和歌と漢詩、双方の智識が求められる高度な文芸であり、禅の五山(ござん)文学において盛んになったものである。
 聯句会は晴信の「心もて染ずはちらじ小萩原」という発句で始まり、大いに盛り上がりをみせて終わる。そこから会には参加しなかった重臣たちも交えた酒宴となった。
 その席で、三条西実澄が晴信を褒め称(たた)える。
「いやいや、実に楽しい座であった。中でも晴信殿の発句は見事。秋の季語から小萩原を選ばれるとは、まるで在りし日の行尊(ぎょうそん)大僧正を見る思い。あの一句を思い出しましたぞ。のう、季遠殿」 
「まことに、まことに。小萩原、匂ふ盛りは白露も、いろいろにこそ見え渡りけれ。この一句にごじゃろう、実澄殿」
 四辻季遠がすかさず応酬する。
 それから二人は顔見合わせ、扇で口元を隠して笑った。
「……古典の博士であらせられる御二方から褒められると、面映ゆうござりまする」
 晴信は世辞に照れながら俯(うつむ)く。
「ご謙遜なさるな。古(いにしえ)の山上(やまのうえの)憶良(おくら)が詠んだように、萩の花は秋の七種(ななくさ)の筆頭。それを知らずして小萩原は使えませぬ」
 三条西実澄が一句を諳(そら)んじる。
「秋の野に咲きたる花を指(および)折(お)り、かき数(かぞ)ふれば七種の花。萩の花、尾花(おばな)、葛花(くずばな)、撫子(なでしこ)の花、女郎花(おみなえし)、また藤袴(ふじばかま)、朝貌(あさがほ)の花」
 引用したのは、万葉集に収められた山上憶良の短歌と旋頭歌(せどうか)の一対である。
 萩は万葉集で最も多く詠まれている花だが、短歌に五・七・七・五・七・七の六句から成る旋頭歌を組み合わせたのは憶良だけだった。
 もちろん、晴信もそのことを知った上で、少し早い秋を表現するために「小萩原」の季語を選んでいる。そうした素養を、二人の公卿は見抜いていた。
「会の後にこれだけの話ができるとは、京や駿府にも劣らぬ風雅。これも晴信殿の度量の深さ。実に愉快でごじゃる」 
 三条西実澄を中心に和歌や漢詩の話に興じた後、話題は自然に都の現況に移っていった。
「して、都の様子は、いかがにござりましょうや?」
 晴信が実澄に訊く。
「……いかがと訊ねられても」 
 実澄は四辻季遠に顔を向け、それとなく目配せする。
「……柳営(りゅうえい)があの有様では、仙洞(せんとう)の御所や都の安寧も……ままなりませぬ」
 四辻季遠が苦々しい面持ちで答えた。
 柳営とは、将軍と幕府を示す言葉である。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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