よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「われら朝廷の者には、お武家の諍いは入り組み過ぎており、何が何やら、さっぱりわかりませぬ。されど、晴信殿の義兄を貶(おとし)めるつもりはあらぬが、細川晴元殿が公方殿に頭を下げ、京で互いに手を取り合えば、事は丸く収まると思うのだが……」
 三条西実澄は晴信の表情を窺(うかが)いながら言う。
 細川晴元の正室は三条公頼(きんより)の長女であり、その縁から妹の三条の方を娶(めと)った晴信は義弟に当たる。
「……それがしの立場では、晴元殿をお諫(いさ)めすることなどできませぬ」
 晴信が顔をしかめながら言う。
「実澄様、あの話を晴信殿にして差し上げてはいかがか」
 四辻季遠が話の矛先を変えようとする。
「あの話?」
 三条西実澄が一瞬、怪訝(けげん)な表情を浮かべる。
「……ああ、菊幢丸(きくどうまる)殿のことか」
「さようにごじゃる」
「確かに、話しておいた方が、よいかもしれぬ。晴信殿、公方殿に菊幢丸という嫡男がおられることは、ご存じでごじゃろう?」
 実澄の問いに、晴信が頷く。
「はい。存じ上げておりまする」 
「本来ならば、公方家の嫡男は政所頭人(まんどころとうにん)である伊勢(いせ)家の屋敷で育てられるはずなのに、菊幢丸殿は近衛(このえ)尚通(ひさみち)様の猶子となっておりながら、戦が起きると父上に連れられ、坂本や朽木へ逃げなければならなかった。まことに可愛そうに。されど、こたび、その苦労が報われるやもしれぬ」
「と、申されますと?」
「父上の足利義晴殿から内々に打診があり、菊幢丸殿の元服を許し、左馬頭(さまのかみ)に任じてくれぬかと申し入れてきた。その際に、朝廷より命名もしていただきたいと」
 三条西実澄の言ったことが確かであれば、菊幢丸が元服して左馬頭となると、いつでも代替わりして征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)になれるということである。
 左馬頭は代々、公方家の嫡子が元服の時に任じられてきた官位であり、逆に左馬頭に任じられない者は征夷大将軍になれない。
 そして、この元服と任官は、武家執奏によって朝廷から御主上へ奏上され、勅許を経た後に朝廷が任命する。
 三条西実澄がこうした経緯を知っているということは、この一件に深く関わっていることを意味していた。
「……されど、確か公方殿のご嫡男は、まだ齢(よわい)十か、十一ではなかったかと」
 晴信は驚きを隠せない。
「齢十一にごじゃる。されど、征夷大将軍の位を移譲するという前提ならば、御今上(ごきんじょう)(後奈良〈ごなら〉天皇)もお認めになられるのではあるまいか。新たな公方が誕生すれば、これまでの諍いを止め、細川晴元殿が宥和(ゆうわ)を求めるやもしれぬという希望をこめてのことではあるが」
「なるほど。相手が幼い公方殿ならば、晴元殿の補佐も必要になると」
「さようにごじゃる。父の義晴殿も京へ戻り、余生を過ごしたいのではあるまいか」
「実澄様、その御元服の儀は、いつ頃になりそうでござりまするか?」
「早ければ、来月の末か、再来月の初め。左馬頭の任官は、その後になるが、おそらくは年の内ではなかろうか。という訳で、晴信殿、この機会に上洛(じょうらく)なされてはいかがか?」

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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