よみもの・連載

信玄

第四章 万死一生(ばんしいっしょう)5

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

「上洛……」
 眉をひそめた晴信が言葉を続ける。
「その御真意をお聞かせねがえませぬか?」
「お武家の元服とならば、烏帽子親(えぼしおや)が必要となるのではないか。確か、公方の烏帽子親は、管領職が務める慣わしであったと思うが」
 三条西実澄は、菊幢丸殿の元服に際し、晴信が上洛して義兄の細川晴元と会ってはどうかと勧めていた。
「なるほど……」
「晴信殿、もちろん、お一人で、とは申さぬ。今川治部大輔(じぶのたゆう)殿と一緒に上洛し、晴元殿と親交を深めればよいのではなかろうか。そなたの奥方は義元殿の縁結びで甲斐に輿入(こしい)れされたと聞き及んでおる。そなたら二人が上洛し、奥方の御実家が仲介に入れば、三人とも快く会うことができようて。どうせならば、奥方も一緒に参られるとよろしい。懐かしい姉上に会いたいと思うておられるのではないか。それならば、よもや、晴元殿も断りますまい。その上で、もしも、今川治部大輔殿とそなたが足利義晴殿に会いたいと思うならば、当方が骨を折ることもやぶさかではごじゃらぬ。もちろん、その後、御今上に拝謁することも夢ではなかろうて」
 三条西実澄は、「今川義元と共に新しい公方の後見に立ち、細川晴元との和解を取り持つように動いてくれないか」と言外に匂わせていた。
 ─なるほど、婚姻の縁を使い、細川晴元殿に近づいてはどうかということか。確かに、義元殿との連名により、新たな公方の烏帽子親になることを祝するという形ならば、畿内に敵の多い晴元殿が和解を考えるよう促せるかもしれぬ。よくできた話だ。ならば、この身が次に望むことも見えているということか……。
「実澄様、大変ためになるお話を聞かせていただき、まことに有り難うござりまする。確かに、上洛はそれがしの夢にござりまする。されど、まだ、京の都へ至る道筋が見えておりませぬ」
 晴信は背筋を伸ばして公卿たちを見つめる。
「都へ至る道筋?……はてさて、それはいかなる意味でごじゃろうか?」
「われらが甲斐から京の都へ至る道と見ているのは、東海道ではござりませぬ。やはり、京へ上るならば、東山道(とうさんどう)(※後の中山道〈なかせんどう〉)にござりまする。そのためには信濃一国十二郡を統べておかなければならず、留守の間に甲斐と信濃で騒動が起こらぬように仕置しておかねばなりませぬ。ところが、未だ道半ば。早く信濃一国を安寧に導き、御所や御柳営からも認められるようになりとうござりまする。さすれば、後顧の憂いなく、いつでも上洛できまする」
「ほうほう、そういうことでごじゃるか。信濃を統べるために、信濃守以上の大義名分を望むのならば、御柳営に認めてもらうしかあるまい。なおさら、公方殿と管領殿に通じておかねばなるまいて」
 三条西実澄は柔和な笑みを浮かべ、小刻みに頷く。 
 信濃守以上の大義名分は、幕府が任免権を持っている信濃守護職しかなかった。
「それゆえ、菊幢丸殿の御元服の日取りが決まりましたならば、教えていただけませぬか。是非、御祝いの品など贈りとうござりまする。合わせて、左馬頭補任などの予定も」
 晴信が三条西実澄に申し入れる。
「それならば、造作もなきこと」
「実澄様のご助言に従い、義兄上(あにうえ)にも当方から書状を差し上げておきまする」
 晴信の言葉に、二人の公卿は満足げな笑みを浮かべた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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