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連載
新 戦国太平記 信玄
第二章 敢為果断(かんいかだん)19 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

   十六 (承前)

「なんということだ……」
 信方(のぶかた)は茫然(ぼうぜん)と呟く。
 上首尾と思えた合戦の裏で奸計(かんけい)が蠢(うごめ)いており、それを首謀していたのは味方と思っていた同盟の相手だった。
 しかも、武田家には何も知らされておらず、家中にはこの戦(いくさ)を契機として内紛が起ころうとしており、すでに結束は崩壊したも同然である。
 ――いったい、武田家はどこに行こうとしているのか?
 当惑しながら立ち竦(すく)む信方の脳裡(のうり)に浮かんだのは、そんな思いだった。
 同時に、胃の腑(ふ)から熾烈(しれつ)な怒りが湧き上がってくる。
 ――身勝手な奴ばらが身勝手な理屈を振り回し、己の保身だけに走る。そこには武門に生きる者として持つべき信義など微塵(みじん)もなく、寄るべき大義もとうてい見出せない。それが今の当家を取り巻く状況。その中で、若だけが理不尽な忍耐を強いられている。もはや、堪忍ならぬ!
 信方は憤怒を隠そうともせず、原(はら)昌俊(まさとし)と向き合う。
「昌俊、そなたにも話しておかねばならぬことが、いくつかある」
「なんであろうか」
「今、家中に謀叛(むほん)も同然の動きがある」
「謀叛!?……まことか」
「まことだ。青木(あおき)信種(のぶたね)殿の寄合で決起を呼びかけ、起請文(きしょうもん)への血判を集めているらしい。しかも……」
 信方は飯富(おぶ)虎昌(とらまさ)から聞いた話をすべて伝えた上で言葉を続ける。
「……駒井(こまい)殿はあくまでも武川(むかわ)衆筆頭の座を奪還するための決起のような口振りだが、二段構えで民の嗷訴(ごうそ)まで用意しているとなれば、内輪の話し合いだけで済むはずがあるまい。下手をすれば、武川衆が二つに割れて領内での戦いとなってしまう」
「その通りだな」
 原昌俊は険しい表情で頷(うなず)く。
「駿府(すんぷ)からお戻りになる御屋形(おやかた)様の一行を新府の手前でお止めするとは、駒井殿もずいぶんと思い切った策を講じたものだ。まさに命懸けの構え。土屋(つちや)殿の所業が、よほど肚(はら)に据えかねたということか。されど、御屋形様の前で騒動などを起こせば、ただで済むとは思えぬが」
「青木殿の一派は土屋殿が家宰(かさい)の座に就くことを阻止しようとしている。そうとなれば、事態は武川衆の内輪揉めでは収まるまい。さきほどの村上(むらかみ)、諏訪(すわ)の動きも含め、これは武田家の先行きや若の今後に関わる大きな問題ゆえ、決して看過できぬ。家中の……家中における……」
 そう言いかけ、信方は俯(うつむ)きながら右の拳(こぶし)を握り締める。己が胸の裡(うち)に渦巻く感情を確かめるように、しばらく深い呼吸を繰り返してから顔を上げた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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