よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)10

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   五十八

 東に広大な琵琶湖(びわこ)を望む近江坂本(おうみさかもと)は、比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)と日吉大社(ひよしたいしゃ)の門前町である上坂本と舟運の湊(みなと)である下坂本からなり、古(いにしえ)より日の本でも有数の賑(にぎ)わいを誇ってきた。
 下坂本には諸国の山門領から運ばれてくる年貢や物資が集積され、上坂本の門前町を通じて山上の伽藍(がらん)や僧坊に届けられる。
 その上坂本、日吉社門前にある里坊(さとぼう)に美装の軍勢が駐留していた。
 それは長尾(ながお)景虎(かげとら)が越後(えちご)から率いてきた五千余の兵である。永禄(えいろく)二年(一五五九)四月三日に春日山(かすがやま)城を進発し、北国(ほっこく)街道から西近江路(にしおうみじ)へと入り、二十一日に琵琶湖畔の坂本へと到着した。
 この地で入洛(じゅらく)の許可が出るのを待ち、二人の重臣が御座所(ござしょ)の外で話をしていた。
「ここに留(とど)まってから、はや五日。やっと前触れがあり、本日、入洛の許可が届くというが、幕府からの奏者は、どなたであろうか?」
 家宰(かさい)の直江(なおえ)景綱(かげつな)が神余(かなまり)親綱(ちかつな)に訊く。
「細川兵部大輔(ほそかわひょうぶたいふ)、藤孝(ふじたか)殿と聞いておりまする。公方(くぼう)殿の御相伴衆であり、なかなかの教養人と評判にござりまする。それだけでなく、武芸にも優れ、かの塚原(つかはら)卜伝(ぼくでん)殿の指南を受けているとか」
「齢(よわい)は?」
「確か二十六と聞いておりますが」
「若いな」
「はい。……大和守(やまとのかみ)殿、ここだけの話にござりますが、藤孝殿はどうやら公方殿の兄にあたるのではないかと、もっぱらの噂(うわさ)になっておりまする」
 神余親綱が幕府から派遣される奏者について説明する。
 細川藤孝の実父は幕府申次(もうしつぎ)衆の三淵(みつぶち)晴員(はるかず)であり、母は儒学者として高名な清原(きよはらの)宣賢(のぶかた)の娘で智慶院(ちけんいん)という。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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