よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)10

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

 足利義輝がそれほど景虎の忠誠と実力に期待しているという証左である。
 こうしたこともあり、景虎の上洛は京の巷でも評判となり、幕臣や公卿から酒宴の誘いが殺到した。
 そんな中で、近衛前嗣の主宰で歌会が開かれ、景虎が招かれる。当代一流の歌指南と称された三条西(さんじょうにし)公条(きんえだ)も参加しており、大いに盛り上がった。
 歌会後の酒宴で、近衛前嗣は自ら景虎を接待する。
「弾正少弼殿は毘沙門天(びしゃもんてん)の如(ごと)き猛将と聞いていたが、かような数寄(すき)好みとは存じておらなんだ」
「関白殿下には、及びもつきませぬ」
「かような席で関白殿下などという呼称は結構。前嗣と呼んでくだされ。麿(まろ)も景虎殿とお呼びしたい」
「いや、されど……」
「構いませぬ。景虎殿は風雅を愛(め)でるだけでなく、匂い立つような美丈夫。まったくもって風聞通りでごじゃる」
「……ご勘弁くださりませ」
 景虎は照れたように長い睫毛(まつげ)を伏せる。
 遥(はる)かに格上でありながら、己よりも六つも歳下の公卿になつかれ、戸惑いを覚えていた。
「ああ、忘れぬうちに、これを渡しておかねば」
 近衛前嗣は景虎に蒔絵(まきえ)を施した漆箱を渡す。
「これは?」
「開けて、ご覧あれ。父上が所蔵していた『詠歌大概』の書写でごじゃる」
「まことにござりまするか!」
 景虎は瞳を輝かせ、漆箱の蓋を開ける。
 中の書物を手に取り、感慨深げに見つめた。
「有り難うござりまする、かんぱ……。失礼いたしました、前嗣殿」
「いえいえ。お望みならば、他の公卿が持っている歌書を集めて進ぜよう。景虎殿は、何が欲しいのであろうか?」
「三智抄(さんちしょう)などが手に入れば……」
「詞林(しりん)であるか。たしか西洞院(にしのとういん)時秀(ときひで)殿が持っていたのではなかったかな。訊ねておきましょう」
「重ね重ね、有り難うござりまする」
 和歌の話で意気投合し、景虎と前嗣は年齢の差を超えて打ち解けた。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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