連載
新 戦国太平記 信玄
第一章 初陣立志9 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

   六

 冬の澄み切った黎明(れいめい)が、躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)を照らし始めていた。
 その一角にある具足の間で、晴信(はるのぶ)は神妙な面持ちで床几(しょうぎ)に腰掛け、乱髪をさげた頭に折烏帽子(おりえぼし)を被る。大井の方が烏帽子の上に真っ白な鉢巻をかけて締めた。
 脇には信方(のぶかた)の妻、於藤(おふじ)が寄り添い、具足の着付けを手伝っている。
 錦襟の鎧直垂(よろいひたたれ)を身に纏った晴信は、左袖を抜いて脇にたたみ、袴(はかま)の括緒(くくりお)をきつくしめてから脛巾(はばき)を当てた。於藤が渡した籠手(こて)をつけ、脇楯(わいだて)、佩楯(はいだて)が次々と下げられ、鎧姿ができ上がっていく。胴に武田菱(びし)の金泥大紋が入った大鎧を身につけ、晴信は金銀装の美太刀(びたち)を佩(は)いた。
 それから、静かに眼を閉じる。ゆっくりと息吹を繰り返し、己の心気を整えた。
 その様を、大井の方と於藤が瞳を潤ませながら見守っていた。
「よし!」
 晴信は瞼(まぶた)を開き、気合をこめて立ち上がる。
「では、行って参りまする」
 具足の着付けを手伝ってくれた母と於藤に小さく頭を下げた。
「御武運をお祈りしておりまする」
 二人も深々と頭を下げる。女人が付き添えるのはここまでだった。
 晴信は大股で具足の間を出る。
 外では軍装の信方が待っていた。
「若、立派な御姿にござりまする。では、参りましょう」
「うむ」
 晴信は緊張した面持ちで短く答える。
 二人は館の御霊舎(みたまや)へ向かった。
 そこには出陣の支度を調えた者が勢揃いし、初陣の儀を待っていた。
 厳かな沈黙の中、晴信は御旗(みはた)と楯無(たてなし)が祀(まつ)られた御神棚の前へ進む。待機していた神人の大幣(おおぬさ)で左右左(さうさ)の祓えをおこない、それを受けてから床几に腰掛ける。大幣とは、祓串(はらえぐし)に紙垂(しで)と大麻を括り付けた神具だった。
 それから、初陣の勝利を願う厳かな祝詞(のりと)が響いた。その朗誦(ろうしょう)が終わると、引き続いて三献(さんこん)の儀が行われる。



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〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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