別の神人が晴信の前に肴組(さかなくみ)の載った高脚の膳を運んできた。肴組とは、白い土器の三重盃と「打ち、勝ち、喜ぶ」を表す縁起物、打鮑(うちあわび)、勝栗(かちぐり)、結昆布(むすびこんぶ)を折敷の上に載せたものである。 晴信が祝箸(いわいばし)を手に取って打鮑の一片を食すと、神人が御神酒(おみき)の入った長柄(ながえ)の片口(かたくち)を差し出す。大紋(だいもん)直垂の袖を払い、晴信はうやうやしく両手で三重盃のひとつを取り、深く一礼した。 そこへ長柄所役(ながえしょやく)の神人が御神酒を注ぐ。ここでも仕来(しきた)りがあり、長柄所役は「そび、そび、ばび」と心中で唱えながら、三回に分けて酒を注がなければならない。そびとは鼠尾のことであり、まずはじめの二回は鼠(ねずみ)の尾ほど細く静かに酒を注ぎ、最後だけは縁起を担いで太く長く酒を注ぐ。ばびは馬尾のことを意味していた。 その後は同じ要領で、勝栗を食して三注一献、結昆布を食して三注一献となり、三つの盃すべてを飲み干した。 そして、初陣の儀の最後は、御旗と楯無への拝礼(はいらい)である。 「御旗楯無も御照覧あれ」 晴信は天津神(あまつかみ)と国津神(くにつかみ)に見立てた先祖伝来の宝物に八度拝(はちどはい)八開手(やひらて)を捧げた。 これが天文(てんぶん)五年(一五三六)十一月二十日のことだった。 先月の末に出陣が決まってから、急に天候が崩れ始め、曇天が続いて冷え込んでいる。昨夜は暴風が吹き荒れ、激しい寒雨が降り続き、出陣が危ぶまれるほどだった。 晴信は大きな不安を抱えながら、何度も蔀(しとみ)を開けて外を見た。 ――このまま、嵐が続き、出陣がとりやめになってくれれば……。 そんな逃げの思いが頭をよぎる。 ――いや、これはどうしても勝ち抜かねばならぬ戦いなのだ。逃げたくとも、逃げられはせぬ。 己に取り憑(つ)こうとする弱気を振り払いながら、まんじりともせず一夜を過ごす。 払暁を迎える頃になると、重い雨雲が強風に流され、空は冷たく澄んで晴れた。 晴信の初陣の儀も滞りなく終わり、いよいよ総大将による鬨(とき)の儀が行われることになった。 兜所役(かぶとしょやく)の小姓が白熊の兜を運んで信虎(のぶとら)に被せ、弓所役が恭(うやうや)しく左手に重籐(しげとう)の弓を渡す。 信虎は右手の軍扇(ぐんせん)を開いて立ち上がり、鹿皮の白毛を四股(しこ)のように踏んで鬨の声を上げる。 「いざ、出陣! 鋭(えい)、鋭、鋭!」 「応(おう)!」 家臣たちも立ち上がり、鯨波(げいは)が広がった。 出陣に向けての気勢が高まったところで、信虎が愛駒に跨(また)がり、日輪の入った鉄の軍扇を振り下ろす。 前備(さきそなえ)を担う軍勢が北西の逸見路(へみじ)に向かって進み始める。逸見路は諏訪口筋(すわぐちすじ)とも呼ばれ、甲斐から諏訪の信濃へ至る重要な古道だった。