よみもの・連載

信玄

第五章 宿敵邂逅(しゅくてきかいこう)4

海道龍一朗Ryuichiro Kaitou

   五十 (承前) 

 深志(ふかし)城の広間に弟の信繁(のぶしげ)、陣馬(じんば)奉行の加藤(かとう)信邦(のぶくに)と輔翼(ほよく)の原(はら)昌胤(まさたね)、馬場(ばば)信房(のぶふさ)、駒井(こまい)政武(まさたけ)が勢揃いしていた。
「信繁、保科(ほしな)と高遠(たかとお)勢の動きは?」
 晴信(はるのぶ)が弟に訊ねる。
「正俊(まさとし)殿と高遠勢は、すでに伊那(いな)宿の春日(かすが)城へ入っており、御下知があり次第、いつでも権兵衛(ごんべえ)峠を越えられまする」
「さようか。では、信房、贄川(にえかわ)城攻めは、そなたに任せる。明朝、出陣せよ」
 晴信は先陣大将の馬場信房に命じる。
「御意!」
「昌胤、そなたが陣馬奉行として同行し、洗馬(せば)の武居(たけい)城へ入ってくれ。これからは、いくつかの合戦を同時に仕立てることも増えてくる。そなたに足りぬのは、戦場(いくさば)での経験だけだ。信房に随行し、将兵たちが何を望んでいるかということをしっかりと学んでくるがよい」 
「承知いたしました」
 原昌胤が神妙な面持ち頭を下げる。
「高白(こうはく)、そなたはこの城で待機し、信房の援護に備えよ。もしもの時は、そなたの判断で援軍を送っても構わぬ」
「御意!」
 駒井政武が頷(うなず)く。
「木曾谷(きそだに)の戦は、この陣容にて任せる。余は次なる戦いに備えるため、上原(うえはら)城へ入ることにする。信繁、駿河守(するがのかみ)、そなたらも真田(さなだ)と連係し、支度にかかってくれ」
 晴信は弟の信繁と陣馬奉行の加藤信邦に命じた。
 翌朝、馬場信房が三千の将兵を率いて深志城を出立(しゅったつ)する。午(ひる)過ぎには洗馬の武居城に到着し、そこから春日城に入っていた保科正俊に早馬が出された。
 これが天文(てんぶん)二十四年(一五五五)三月上旬のことだった。
 同じ頃、善光寺平(ぜんこうじだいら)の旭山(あさひやま)城では、人足に化けた最後の武田勢が城門に向かっていた。
 旭山は善光寺の南西にそびえ立ち、門前町から川中島(かわなかじま)までを遠望できる。その頂上に築かれた旭山城は、石塁に囲まれた主郭と曲輪(くるわ)群が並び、周囲に堀切や竪堀(たてぼり)を巡らした堅固な構えを誇っていた。
 城に至る道は一本しかなく、東南の麓にあたる小柴見(こしばみ)の里から、曲がりくねった坂道を登っていかねばならず、中腹の平柴(ひらしば)に大黒(だいこく)砦がある。そこまでたった半里(約二㌔)の道程だが、登攀(とうはん)は容易ではなかった。

プロフィール

海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう) 1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。

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