十二 (承前) それというのも、敵方がかなりの難敵だったからである。 滋野(しげの)一統は宗家となった海野(うんの)を中心に禰津(ねつ)、望月(もちづき)の分家に加え、真田(さなだ)、矢沢(やざわ)などの庶流までを含めて広く小県(ちいさがた)郡に勢力を持っている。しかも関東管領(かんれい)職の上杉(うえすぎ)憲政(のりまさ)が後盾として控えていた。 そのため、一気に勝負をかける急戦の策を取らざるを得なくなり、村上(むらかみ)義清(よしきよ)との挟撃は戦いの要となるが、必然的に両軍の武功争いとなり、武田としても多くの兵を投入しなければならない。 ところが、武田家は大勢の動員が難しい事情を抱えていた。 この秋の大暴風雨で釜無川(かまなしがわ)と御勅使川(みだいがわ)が氾濫(はんらん)し、新府を中心に甲斐の一帯が泥海と化してしまったのである。田畑は目を覆いたくなるほどの惨状を呈し、家畜や農民にまで多大な被害が及んだ。 運悪く収穫の直前であり、このままでは飢饉(ききん)となることは明白だった。いや、これまでのような不作の折の飢饉を大きく上回る窮状になると思われた。 合戦続きで武田家の兵粮蔵(ひょうろうぐら)は底を尽きかけており、とてもではないが大規模な兵を動員できるはずがなかった。 もしも、戦(いくさ)をするならば、領内から臨時の徴発をしなければならないが、災害のせいで民から搾(しぼ)り取れるものも、すでに枯渇している。あとは翌年のためのわずかな種籾(たねもみ)を無理やり召し上げるような方法しかなさそうだった。 しかし、度重なる徴発で領内には不満が膨らみきっており、いつ一揆(いっき)と化して爆発してもおかしくなかった。 それでも、信虎(のぶとら)はどこ吹く風で合戦を強行しようとしている。 不満は民の間だけでなく家臣たちにも広がっていた。何度も禄(ろく)が滞り、戦の褒賞も満足に与えられていない。 「信濃(しなの)を新しい所領とした暁には俸禄が増やされる」 そのように通達されていたが、皆は半信半疑だった。 今回の合戦に乗り気なのは、傍若無人な惣領(そうりょう)だけである。 陣馬(じんば)奉行の原(はら)昌俊(まさとし)は、倒れた家宰(かさい)の荻原(おぎわら)昌勝(まさかつ)の代わりに頭を痛めていた。 ――今川(いまがわ)家から兵粮を借りるとしても、これだけの規模の出陣ではまだ足りぬ……。領内からの徴発を行わなければならぬが、それを断行すれば何が起こってもおかしくはない。この戦の行方が見えぬ……。 初陣を迎える次郎の傅役(もりやく)、甘利(あまり)虎泰(とらやす)でさえも出陣の強行を危惧(きぐ)している。 ――今は駿河守(するがのかみ)殿が奪取した佐久(さく)を安定させ、そこからの収穫が加えられるまで辛抱すべき時のはずなのだが……。しかも戦の前捌(まえさば)きをした駿河守殿と晴信(はるのぶ)様が留守居役とは……。これでは次郎様が恐縮してしまい、本来の力を出せぬかもしれぬ。