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連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)12 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

「信繁様の御初陣を境に、ますます家中の覇権争いは激しくなりましょう。良からぬ企みを巡らす者が出てくるやもしれぬゆえ、晴信様ともども、お気をつけなされませ」
「ああ、わかった」
「こたびの戦が終わりましたら、真っ先に屋敷へお邪魔しますゆえ、一献お願いいたしまする」
「そういえば、飯富(おぶ)もそなたと呑み較べしたいと申しておったな」
「ほう、それは望むところ。では、昔のように勝負いたしましょう。盃などと間怠(まだる)いことをいわず、あれで」
 甘利虎泰は徳利を喇叭(らっぱ)呑みする仕草を見せてから笑った。
「ああ、よかろう」
 信方も笑顔を見せた。
 この会話があった翌日、武田勢は泥土の中を海野平に向けて出立した。
 晴信と信方はそれを黙って見送る。
「若、実はお話がありまする」
「何であろうか」
「昨日、甘利がこの身を訪ねて参りまして、信繁様の御伝言を残していきました」
 信方は甘利虎泰との会話を残さず伝えた。
 その話を聞き終え、晴信は溜息を漏らすように呟く。
「次郎がさようなことを……」
 それから思い直すように顔を上げる。
「いや、もはや次郎ではなかったな。信繁がそう申していたか。この前のことは、こちらから謝らねばならぬと思うていたのだ。あ奴とは、色々と話したいこともある」
「御初陣から戻られましたら、労(ねぎら)いの御言葉をかけにまいりましょう。それに、すぐ轡(くつわ)を並べる機会も訪れまする」
「そうだな。されど、父上と信繁の留守中も、のんびりしているわけにはまいらぬ。深く考え、やらねばならぬことはいくらでもある」
「と、申されますと?」
「見てみよ、板垣(いたがき)。この悲惨な有様を。少し強い雨が降っただけで、新府は泥の海だ。これではいつまでたっても不作や飢饉はなくならぬ。疫病(えきびょう)の元凶になってしまう。釜無川と御勅使川の氾濫を抑えるような治水をしなくてはならぬ。誰か河川の治水に詳しい者はおらぬだろうか」
 微(かす)かに眉をひそめながら、晴信が言う。
「まずは岐秀(ぎしゅう)禅師にご相談なさってはいかがにござりましょう」
「そうだな。これからは理(ことわり)を学ぶだけでなく、実践に繋がる智慧(ちえ)も身に付けねばならぬ」
 晴信は眼を凝らし、荒れ果てた新府の地を見渡す。
 ――若は強くなられた。かような仕打ちを受けても、もう下を向くことはなく、常に先を見据えておられる。すなわち武田家の行末をだ。
 信方も無言で頷(うなず)く。
 そして、天文十年(一五四一)五月十三日、武田家と村上家の連合軍が滋野領に侵攻し、ついに海野平で合戦が始まった。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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