十三 信濃国埴科(はにしな)郡にある葛尾(かつらお)城で、村上義清と数名の重臣が一報を待っていた。 「武田信虎はまだ海野宿に至っておらぬのか。なにをぐずぐずしておるのだ」 剛毛に覆われた髭面(ひげづら)の口元を歪(ゆが)め、村上義清が吐き捨てる。 「まあ、落ち着きなされませ。武田も海野平へ入るのは初めてゆえ、慎重を期しているのでありましょう」 義清の傅役である出浦(いでうら)国則(くにのり)が薄く笑いながら答える。 「慎重を期しているのではなく、臆しているのではないか。なにが甲斐の餒虎(だいこ)だ。口ほどにもない。海野平へ寄せれば、すぐわかることだが、海野城とは名ばかりで寺に毛の生えた程度の城なのだ。少し力があれば、すぐ落とせようほどに」 村上義清は遠慮もなく武田信虎の悪口を言う。 床几(しょうぎ)に腰掛け、腕組みをしていた屋代(やだい)政重(まさしげ)も口を開く。 「されど、武田に先攻めをさせて、まことによろしいので。一番槍をつけたと武功を主張してくるのではありませぬか」 この漢(おとこ)は村上家三家老の一人だった。 「越中(えっちゅう)、そなたは心配性だな。こたび、武田と見せかけの盟を結んだのは、あ奴らを囮(おとり)に使うためだ。滋野一統をこの小県から押し出すには、南から追い立てる勢子(せこ)が必要なだけだ。当初は諏訪(すわ)頼重(よりしげ)を使えばよいと思うていたが、わざわざ武田信虎が名乗りを上げてきたゆえ、使うてやったまでだ」 義清は不敵な笑みを浮かべ、言葉を続ける。 「この戦が終わっても小県の領地は、一片も武田には渡さぬ。まあ、囮となった褒美に、小諸(こもろ)城ぐらいはくれてやってもよいがな」 義清と出浦国則が顔を見合わせて高笑いした。 その様を屋代政重は怪訝(けげん)な面持ちで見ながら訊く。 「されど、武田信虎の気性の荒さは並のものではないと聞いておりまする。さようなことを知れば、小県に兵を押し出してくるのではありませぬか?」 「それもできぬように、すでに策は仕掛けてある。小笠原(おがさわら)家をけしかけ、武田に横槍を入れさせればよい。甲斐の武田が信濃へ出張ってくることを最も快く思わぬのが、信濃守護の小笠原長棟(ながむね)であろうからな。小笠原も長年の敵であった諏訪と和睦し、少し余裕が出てきたところであろう。われら村上も手助けをすると持ちかけ、武田に嚙みつかせればよい。諏訪頼重も武田の麾下(きか)に入った振りをしながら当家と通じているのだからな。佐久から武田家を追い出せば、その所領が己のものになると思えば、いつまでも猫をかぶってはおるまいて」 村上義清は周到に巡らせた己の策を披瀝(ひれき)する。 その言葉通り、信濃守護の小笠原長棟は一昨年の天文八年(一五三九)に、長年敵対してきた諏訪家と和睦している。それに加え、甲斐の守護でありながら、信濃へ触手を伸ばす武田に憎悪を抱いていた。