連載
「新 戦国太平記 信玄」
第二章 敢為果断(かんいかだん)12 海道龍一朗 Ryuichiro Kaitou

   十三 
   
 信濃国埴科(はにしな)郡にある葛尾(かつらお)城で、村上義清と数名の重臣が一報を待っていた。
「武田信虎はまだ海野宿に至っておらぬのか。なにをぐずぐずしておるのだ」
 剛毛に覆われた髭面(ひげづら)の口元を歪(ゆが)め、村上義清が吐き捨てる。
「まあ、落ち着きなされませ。武田も海野平へ入るのは初めてゆえ、慎重を期しているのでありましょう」
 義清の傅役である出浦(いでうら)国則(くにのり)が薄く笑いながら答える。
「慎重を期しているのではなく、臆しているのではないか。なにが甲斐の餒虎(だいこ)だ。口ほどにもない。海野平へ寄せれば、すぐわかることだが、海野城とは名ばかりで寺に毛の生えた程度の城なのだ。少し力があれば、すぐ落とせようほどに」 
 村上義清は遠慮もなく武田信虎の悪口を言う。
 床几(しょうぎ)に腰掛け、腕組みをしていた屋代(やだい)政重(まさしげ)も口を開く。
「されど、武田に先攻めをさせて、まことによろしいので。一番槍をつけたと武功を主張してくるのではありませぬか」
 この漢(おとこ)は村上家三家老の一人だった。
「越中(えっちゅう)、そなたは心配性だな。こたび、武田と見せかけの盟を結んだのは、あ奴らを囮(おとり)に使うためだ。滋野一統をこの小県から押し出すには、南から追い立てる勢子(せこ)が必要なだけだ。当初は諏訪(すわ)頼重(よりしげ)を使えばよいと思うていたが、わざわざ武田信虎が名乗りを上げてきたゆえ、使うてやったまでだ」
 義清は不敵な笑みを浮かべ、言葉を続ける。
「この戦が終わっても小県の領地は、一片も武田には渡さぬ。まあ、囮となった褒美に、小諸(こもろ)城ぐらいはくれてやってもよいがな」
 義清と出浦国則が顔を見合わせて高笑いした。
 その様を屋代政重は怪訝(けげん)な面持ちで見ながら訊く。
「されど、武田信虎の気性の荒さは並のものではないと聞いておりまする。さようなことを知れば、小県に兵を押し出してくるのではありませぬか?」
「それもできぬように、すでに策は仕掛けてある。小笠原(おがさわら)家をけしかけ、武田に横槍を入れさせればよい。甲斐の武田が信濃へ出張ってくることを最も快く思わぬのが、信濃守護の小笠原長棟(ながむね)であろうからな。小笠原も長年の敵であった諏訪と和睦し、少し余裕が出てきたところであろう。われら村上も手助けをすると持ちかけ、武田に嚙みつかせればよい。諏訪頼重も武田の麾下(きか)に入った振りをしながら当家と通じているのだからな。佐久から武田家を追い出せば、その所領が己のものになると思えば、いつまでも猫をかぶってはおるまいて」
 村上義清は周到に巡らせた己の策を披瀝(ひれき)する。
 その言葉通り、信濃守護の小笠原長棟は一昨年の天文八年(一五三九)に、長年敵対してきた諏訪家と和睦している。それに加え、甲斐の守護でありながら、信濃へ触手を伸ばす武田に憎悪を抱いていた。



 
〈プロフィール〉
海道龍一朗(かいとう・りゅういちろう)
1959年生まれ。2003年に剣聖、上泉伊勢守信綱の半生を描いた『真剣』で鮮烈なデビューを飾り、第10回中山義秀文学賞の候補となり書評家や歴史小説ファンから絶賛を浴びる。10年には『天佑、我にあり』が第1回山田風太朗賞、第13回大藪春彦賞の候補作となる。他の作品に『乱世疾走』『百年の亡国』『北條龍虎伝』『悪忍 加藤段蔵無頼伝』『早雲立志伝』『修羅 加藤段蔵無頼伝』『華、散りゆけど 真田幸村 連戦記』『我、六道を懼れず 真田昌幸 連戦記』『室町耽美抄 花鏡』がある。
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